『ゴジラ-1.0』の「-1.0」は、なぜ「-1」じゃダメなのか?
みなさん、こんにちは。
いまさら感はありますが、『ゴジラ-1.0』を観てきました。
一言でいうと、衝撃です。
この映画は、ぼくが観たなかで最高傑作と言っても過言ではない作品になりました。
ゴジラの造形や音楽のすばらしさなど、語りたいところはたくさんありますが、今回はそもそもタイトルにある「-1.0」とは一体何なのか、考えていきたいと思います。
事前の情報
舞台は敗戦したすぐあとの日本。
敗戦したことで「0」になりました。
(倒壊した建物といった物理的なものや、ひとびとの精神的なものを含めて)
そこに、ゴジラが突如出現。
それにより「0」から「-1」へ、さらなる絶望に突き落とされる、ということをナレーションで語られていたかと思います。
しかしそれならば、「-1」だけでもよく、なぜわざわざ後ろに「.0」がついているのでしょうか?
Web3.0から学ぶ
さいきんはあまり聞かなくなった「Web3.0」ということばがヒントをくれます。
数値の「.0」は、「前の世代との明確な区別」のために使われています。
もともと「Web2.0」だったものが、マイナーな進化をしたときには「Web2.1」、「Web2.2」とあらわすことができました。
そして、「Web3.0」になることにより、「Web3.0」は「Web2.0」とは大きくちがうことを表すことができます。
「.0」がついていることにより、前のバージョンからの大きな進化や、革新、変革をあらわすことができます。
「-1.0」の二つの意味
ここからゴジラの「-1.0」は、つぎの2つのことが想定されます。
➀「-1.0」は、以前のゴジラ映画から大きな変革をとげていること。
「以前のゴジラ映画」が何を指すかは悩みどころですが、背景が似ている「初代ゴジラ」と、直近の「シン・ゴジラ」だと思われます。
「初代ゴジラ」とくらべて、VFXを使った映像や、迫力のある音楽で、進化をとげています。
「シン・ゴジラ」とくらべて、家族ドラマにフォーカスを当てることで、視点に革新性があります。
⓶「-1.1」と、生存者たちの負の物語がまだつづいていくことを示唆。
ヒロインが生き残ることができた理由や、最後の描写で、今後もさまざまな「絶望」を予感させています。
まとめ
『ゴジラ-1.0』は、その圧倒的な迫力と見応えある造形、そして素晴らしい効果音によって、最高傑作といえる映画です。
ゴジラの魅力が余すことなく詰まった作品で、どの世代でも十分に楽しめる内容となっています。
もしまだ見ていない方は、ぜひ映画館の大スクリーンで観ていただきたいです。
映画の中でゴジラが迫るその迫力は、言葉ではなかなか表現できません。
さらに圧倒的な音楽で、ゴジラの世界に引き込まれます。
ぜひお楽しみください。
個人的には今回のゴジラの造形が好きすぎて、フィギアを買おうか迷っています...
映画の冒頭で登場する、以下の「巨大化する前のゴジラ」が好みです。
かわいくないですか?(妻には「気持ちわるいから買わないで!」っていわれました…)