ノートはじめました。(自己紹介)
こんにちは。この度、他のブログサービスから、ノートに遷ってきました。
玖瓊鳳㐂戀(くにとり・きれん)といいます。
「㐂」は「喜」の異体字(草書体から来ています)で、「戀」は「恋」の旧字体です。もちろんいうまでもなく本名ではありませんが。
淡々とエッセイや評論、たま~に日本史について書くこと―本業はむしろ日本史の方ですが―を目指します。すこしややこしい人間ですが、まあ直におわかりいただけるでしょう。でも、少しは読み応えのある文をぼちぼち載せていこうかと。あ、書き忘れるところでしたが、英語や韓国語なども、それなりに多少はできるので、好きな詩などたまに趣味として翻訳して紹介するかもしれません。
とりあえずしばらくは、前のブログに載せていたものをこちらに持ってきつつ、新しい投稿もあげようかと思っております。まあわりと自由過ぎる文が多くて、それはそれなりに個性的で面白いモノではないかと、少し自負してみたり。ただし、勝手に書いたり勝手に書かなかったり、質朴かつワガママキマグレがポリシーなので、まあこのへんはどうかご了承を。
ところで、名前(ハンドルネーム)の由来について最後に少々書いておこうと思います。漢字も読みもなんちゅーものになってんねんと、疑問に思う方々もおられるでしょう。
前のブログに載せた(2020年12月4日)ものを、多少の加筆修正を加えて以下に引いてきます。それでは、これから何卒よろしくお願いします(早速、本日から数本ずつ文を持ってきて載せますので、よろしければそちらも見ていただけると幸いです)。
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…なんとなく人名を作るのが好きで。よくこの名前の読み方や由来を聞かれるのですが、「くにとり・きれん」と読みます。
「玖瓊鳳」は『詩経』「国風」のなか衛風に所収された「木瓜」から。
「投我以木李、報之以瓊玖、匪報也、永以爲好也」
読み下しは省略して意訳すると、
「あなたは私にスモモを投げ、私は玉で報いる。いや、報いにあらず、永く仲良くしていきたい証である」
そして「㐂戀」は、各々喜と恋に同じ漢字。夏目漱石の『道草』に
「恋は嬉しい。嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ」
とあります。
じゃなぜ瓊と玖が逆で鳳はどこまら来てんねん、といわれれば、私を産む前母親が鳳凰の夢をみたらしいし、『詩経』などでもよき政(まつりごと)を行った聖君が現れたら鳳が自らやってくる、鳳は泰平の世の兆しであると。そういや祖父の名前にも鳳という字が入っていました。でもこれは全部後付けの説明で、結局国家というシステムを信頼しないから―特にコロナ事態でそれが白日の下に露わに晒されたのですが―「くにとり(国盗り)」と読ませたかったのですね。