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レベッカ・ソルニットの文体的特徴と、これからの知識人
はい、今回のテーマは「現代における知識人と、ソルニットの文体的特徴」。
知識人。英語だと、intellectual。インテリってやつですね。英語圏には「公共的知識人」(public intellectual)という言葉があって、日本語の研究書でも時折見かけることがあります。公衆に対して責任を負い、その国や地域、その言語圏の言論に影響を及ぼし、言論を形作り、リードしていく存在。
2024年の5月くらいに、朱喜哲さんと対談をしました。『人類の会話のための哲学:ローティと21世紀のプラグマティズム』の刊行記念です。
朱さんといえば、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる:答えを急がずに立ち止まる力』の共著者にして、通称「ネガ生きトリオ」の一人(著者たちしか言っていない)。
そこで話題になったのが、「リチャード・ローティが最後の知識人(世代)だったのではないか」ということ。ひとつの分野の専門家ではなく、総合的に様々な事象を議論しており、することのできる多様な見方を持っており、実際に人から傾聴されるようなオピニオンリーダー。
朱さんとは、「そういうものとしての〈総合的知識人〉は、彼より後の哲学者では、なかなか見当たらないね」というような話をした。
トークイベントでは、「現代に知識人が成立するとすれば、どのような形であり、その一例となるような人はいるか」という質問があった。かなりいい質問だった(いい質問とは、答えるのが難しい質問でもある)。
私は、上から目線で大上段に切って語るような姿を20世紀後半の知識人モデルとするならば、個人的な経験とトーンを含みながら公共的な議論を提示できる人ではないかと答えた。具体例として挙げたのは、レベッカ・ソルニット。
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