自信と恥のあいだでスタイルはつくられる
こんにちは。芸大で教員をしている人です。
今年度も、私が指導した学生たちの論文集が出ました。後期はそれをベースに制作へと向かっていきます。
去年度も、論文集に前書きを書き下ろしたのですが(下記)、今年度も書きました。
せっかく書いたので、今年度も公開します。
なんてことない内容ではあるけれど、今論文や制作などの作業を孤独に頑張っている人の、ちょっとした励ましになればいいと思って公開します。
自信と恥のあいだでスタイルはつくられる
――プロダクトデザイン専攻2020年度論集に寄せて
私は、2020年度前期の毎週月曜日に論文指導の授業を担当してきた。参加したのは、デザイン科プロダクトデザイン専攻の学部四回生と、修士課程の院生たち。この冊子はその成果物たる論文から構成されており、この文章はその前書きである。
自信と恥
書くという作業は、必ずしも美しいものではない。
真田(@sanada_jp)のマンガ「同人女の感情」シリーズの「前人未到の0件ジャンル」には、人気がなく二次創作作品すらなかった、ある古い作品への思いがあふれてしまった会社員が登場する。この人物は、「読んでほしい…銀トリという作品を!誰かひとりでもいい…感動を共有したい!誰か…誰か!」という思いから、いっそのこと自分で二次創作小説を書くことを思いつく*。
この「思いつき」の理路は実に単純だ。様々な妄想を積み上げた彼女の頭には、完璧な物語があり、彼女は、それを文字に起こしさえすればいいと考えたのだ。彼女には、小説を書いた経験も文章を書く習慣もなかったが、それなりの充実感を得ながら作品を完成させ、それをウェブ上で公開した。これで、銀トリファンが一人でも増えればうれしいと期待を抱いて彼女は仕事に向かう。
しかしながら、仕事を終えて自宅に帰り着き、ノートパソコンを開いて自作を見返した彼女に去来するのは、「なぜこれを自信満々にアップロードしたのか」という恥の感情だった。そして、頭の中にある完璧な妄想を形にすることができず、一つの「黒歴史」として自分の短編をウェブ上から消し去ってしまう。書くこと、生み出すことには、否応なく恥ずかしさが伴うところがある。
彼女が体験した、全能感と無能感を振り子のように行き来する感覚は、何かを生み出そうとする人間なら大抵抱いたことがあるだろう。文字であれ、絵であれ、造形であれ、空間設計であれ、音楽であれ、同じことだ。きっと学生たちは執筆しながら、自信と恥を行き来する感覚を繰り返し経験したはずだ。
背伸びとスタイル
けれども、話はここで終わらない。彼女は、文章や物語制作に関する本を読み、日々、文章の練習を重ねるという修練を経た。そうして、何とか新しい二次創作小説を書き終えることができた彼女は、友人に説得され、それをウェブ上に公開した。「もっと上手くなってから」という思いを押し込めて、「これが今の自分に書ける文章だ」というものを共有したのである *。「もっと上手くなってから」は、永遠に来ない。上手くなってからでなければ人前で演奏できないなら、私たちは、エリック・クラプトンやビル・エヴァンズの演奏しか聴けなかっただろう。
ここで重要なのは、「これを見てください」「こんなことを考えました」と、自分の思考や経験を舞台の上にあげるという行為それ自体だ。誰もがそれを、触り、読み、考え、辿り直し、咀嚼することができる状態にすること自体が、評価に値する。それを誰かに見られうる公共的な場所に置いたことは、文章や論の出来以前に価値あることだと思う。少なくとも、私はそう信じている。
哲学者の鶴見俊輔が、おあつらえ向きのことを言っている。
……こんなことは私には書けない、だけれども、これを書き残しておこうというところから、スタイルが生まれる。書き慣れたことを、〔他の〕人が書くようにすらすら書いたのでは、いい文章なんて生まれるはずがありません。(『文章心得帖』ちくま学芸文庫, p. 70)
何かを生み出そうとするときには、身の丈以上のことをしなければならない。少なくとも、よりよくありたいと思う限りは、背伸びすることを避けるわけにはいかない。だからこそ、書くことには、恥ずかしさが伴うのだろう。ただ、「だけれども」と踏みとどまるだけの自負や自信も同時に必要となる。書くことに対峙するとき、私たちはいつでも無能感と全能感の間にいる。その外はない。
両極にある二つの感情に綱引きされている人間は、無邪気に歩くことができない。ふらふらとかろうじて進むような形になるのだろう。そこで私たちに必要なのは、恥と自信を行き来しながら、身の丈以上のジャンプをすることだ。鶴見によると、その不安定なジャンプこそが、私たちの「スタイル」を作り出す。だから、書くことは、美しくないだけでなく、安全でもない。けれども、そうして苦闘することは、価値あることだと思う。
学生たちに触れることなく、こうしていくぶん情熱的に書いてきたのは、彼らのうち何人かが、そのスタイルへの第一歩に見えるものを確かに踏み出しているように見えるからだ。もちろん、はじめの一歩は、確かな二歩目を保証するものではないことを忘れてはいけない。それでもどんな二歩目も、いつか踏み出した一歩目の後にある。
孤独と励まし
新型コロナウィルスによるパンデミックによって、昨年度とは異なり、基本的には遠隔での授業となった。何か細かな注意点を伝えたり、問いや構成についてアドバイスをしたり、やる気を持続させるための声かけをしたり、進捗を監督したりするといった役割を、十分果たすことができたか疑わしく思う。いや、これ以上はできないというくらい、私にできる限りのことはした。それが当時の限界だった。けれども、学生には大いに不便をかけたと思う。それもまた事実だ。
謝罪が目的ではない。何が言いたいかと言えば、この授業を作り上げるのに決定的な役割を果たしたのは、他ならぬ学生たち自身だったということだ。その点に感謝するとともに、書くという孤独を感じる作業を行いながら、パンデミックゆえの自宅隔離によって一層の孤独を感じざるをえない状況で、それでも何とか論文を書き遂げた学生たちに、賛辞を送りたい。あと、編集統括の労を引き受けてくれた水野さんには、特権的な感謝を。
最後に、蛇足させてほしい。世界で最も力ある作家の一人スティーブン・キングは、On Writing(『書くことについて』小学館文庫)という、あまりに率直なタイトルの本で、小説を読んだとき、その作家が誰か大切な人に感謝しているのをみると自分のことのようにうれしくなる、と書いていた。書くことが徹底して孤独な作業だからこそ、書き終えたときに、しみじみと思い出される人がいることは、とても幸せなことなのだろう。多く、長く、第一線で書き続けてきたキングは、書き終えた後に顔が思い浮かぶような人を持っていることの喜ばしさをよく知っていた。学生たちには、そういう人がいるのだろうか。いればいいなと思う。
授業を終えた私には、今年の学生たちだけでなく、去年の学生たちの顔が思い浮かんでいる。今年は対面で授業をすることができなかった分、2019年度に論文を書いた学生たちから肩越しに励ましを感じていたのだと思う。それは、おいしい牡蠣フライを食べ、満足感を抱いて帰るときに感じるような励ましだった*。そういう小さな元気をくれる過去を持っていることが、私にはとてもありがたかった。
* 村上春樹「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」(『雑文集』新潮社)から借りた表現。ちなみに、牡蠣フライは実際に好き。
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