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インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」

ここ、大根畑なんだ。
そんな感動はタージマハルを見たときより大きかった。

私も、インドの人も大根を育てて食べている。それ以上でもそれ以下でもない事実が、なぜか嬉しい。

学生時代のある日「まだ分からないかもしれないけど、知性はセクシーだから、今のままの君で居てね」と言ってくれた人がいた。40歳手前だという彼とは旅先の沖縄で出会った。当時、私は大学院の修士課程を終えようとする頃だった。

30歳を目前にした今なら、私も少しわかる。
確かに、学ぶ人はセクシーだ。一方で、勉強しかしない奴はセクシーではない。

多くの場合、学びたいなんていう発言は単なる利己的な煩悩でしかない。金や地位を求めて、資格取得など括弧付きの学びに励む。そして、おそらくそれは学びではなく勉強と呼ばれている。

では、学びとは何か?と考える。アカデミック・哲学的な議論はさておきだが、私自身は好奇心によって生まれる知的欲求を満たそうとする実践であると思っている。
純に知りたいから、調べる、読む、尋ねる。実践の種類を挙げればキリがないが、そんな実践こそがやはり学びで、知性の源なのではないか。

知れば世界は違ったふうに見えてくる。そして世界からの語りが聞こえてくる。
それは単なる広大な土地にみえていたものが、大根畑と特定できるように。

「目に映るすべてのことはメッセージ」

インドの大根畑でこのフレーズが頭に浮かんだ。そして幼いときから何度も耳にしてきたこのフレーズに初めて、知的なセクシーさを覚えた。


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