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タジキスタンの首都をチャリンコで走ってみた

エリートとカフェで鉢合わせたその数十分後に、金持ち扱いされた私の所感


タジキスタンってどこですか?

最初に申し上げておくと、普段の私はチャリンコ乗りではない。たまたま泊まっていたゲストハウスがチャリンコを貸し出してくれるというので借りてみることにしたのである。

前日ウズベキスタンとの国境の町ペンジケントから脱出するのに8時間もかかり、もう歩く気力もない。かといってこの街のバスを乗りこなせるはずもないので、自転車が丁度良い選択肢に見えたというわけだ。

お借りした自転車

本題に入る前に、読者の多くが「タジキスタンってどこだ?」と思っているかもしれない。タジキスタンは中央アジアの国境をアフガニスタン、中国、キルギス、ウズベキスタンで囲まれた内陸国の一つだ。人口はおよそ1000万人で、国民の多くがイスラム教徒である。ただ元旧ソ連の領地だったということもあり、現地語のタジク語が通じるだけでなくロシア語話者も多い。

外務省HPより引用

私が2020年3月にこの国に行くことにしたのは、本当に偶然と言ってよい。もともと2月~3月にカザフスタン~ウズベキスタンの旅を予定していたのだが、同じ年の1月に突然ビザなしでタジキスタンに入国できるようになったのである。

だったら足を伸ばしてみようかと思ってしまう。そして、首都ドゥシャンベからカザフスタン・アルマトイまでの航空券がタシケントからのそれより安かったのも大きな決め手となった。

走りやすい街

自転車で走ってみて気づいたが、非常に走りやすい。なぜなら、道がキチンと区画整理されているからだ。また中央アジアでも大きく貧困に喘ぐ国だと聞いていたにもかかわらず、大通りにはオープンテラスの今風のカフェがあり、そこには糊がびっしりと効いたワイシャツと高級なスーツに身を包んだ青年がノートパソコンで仕事をしている。きっとこの国のエリートなのだろう。

正直言うと、失礼ながら、この街がここまで発展しているとは思ってもみなかった。もっともケンタッキーまであるのは、想像の範疇をはるかに越えていた。

他の自転車乗りたちも車道を走っていたので、私も車道を走っている。
ケンタッキー

また大通りはどうやら複数あるらしく、その1つは駅に繋がっていた。この駅にはどうやらモスクワ行きの夜行列車が発着しているらしい。昨今の混乱でロシア旅行なんて夢のまた夢かなんて思っていた私には、この駅から希望と絶望の両方が感じられた。

ドゥシャンベ駅

ただ街の中には、格差と発展のアンバランスを感じる場面もあった。大都会のはずれにおそらくスラム街らしきエリアを見つけたり、ショッピングモールの中がスマホ販売店だらけだったりもした。

モールの大半がスマホやその周辺機器の販売店だった。

スマホで世界は変わる?

スマホで世界は変わる、と昔誰かが言っていた。ただ日本で暮らす私にとっては、ガラケーがとても便利になったくらいの話にしか理解できていなかった。そして、この国の人たちも皆スマホを持っている。

ショッピングモールを後にした私は地域のバザールに出向いた。バザールの人たちは事ある毎に写真を撮れと言ってくれる。

果物屋のおっちゃん
ノンと呼ばれる大きな食卓用のパンを打っている
店先には大量のポットが売られていた

そんな中、とあるの地元の青年が私にスマホの翻訳アプリを使って話しかけてきた。

「日本人ですよね。年間の収入はどのくらいありますか?」

無機質な文字が彼のスマホの画面に写る。私が答えるかどうか迷っていると「私は月間3万円です。足りない分はロシアへ出稼ぎへ行きます。」と続ける。
是非は不明だが、私も正直に答えることにした。

「私は日本で宿業と農業をしています。また昨年末まではアルバイトもしていました。それで合計300万円くらいです」

と。彼は目を見開いてこう打ち込んだ。

「私を貴方の付き人として雇ってくれませんか?貴方の国で働きたいです」

無論ようやくアルバイトを卒業した私に付き人や秘書など雇えるはずもなく、スマホで自分の世界を変えようとした青年との距離を詰め切れないままその場を後にした。

自転車だから見えた景色

私はこれまで海外で自転車に乗ったことはなかったように思う。整備された観光地で電動バイク的なものをレンタルしたことはあったが、それはあくまで指定の範囲を巡るだけのものだ。今回のように街をぐるっと一周したわけではない。

思うに、大きくない街であれば、自転車に乗ることで街の明るい部分、そして暗い部分の両方を一気に見ることができる。これまで徒歩や地元のバスを中心で旅行を楽しんでいた私では、やはり街の隅まで行くのはそもそも無理だったし、たとえ興味のあるショップやモールが目に入っても突然途中でバスを下車する勇気は持ち合わせていなかったように思う。

その点、自転車の行動範囲は広く、目に入った建物や場所に進入するのは容易だ。だからこそエリートとカフェで鉢合わせたその数十分後に、逆に金持ち扱いされるような機会と遭遇できたのだと思う。

宿に戻るとオーナーは私にチャリンコ旅の感想を聞いてきた。「とっても走りやすい街ですね」と有り体だが率直な返事をした。

「ソ連が作った街は景色も雰囲気もどこも同じだけどね」とオーナーは皮肉っぽく笑う。

私はこの街の景色がついに分からなくなった。


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