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2022年3月の記事一覧
何もかも、起こるまでは、現実ではない。それは、ことばですらない。
動物的な勘、カンが、働いてうんざりすることがある。たいてい当たる。布団から起き出してふと、というタイミングが多い。
今朝は実際にそれが的中した。飼い猫が食事の直後にカーペットに吐いた。たまにあることで、仕方ないのだが、今回は猫の、吐きたいけれど、食べたい、みたいな思いをキャッチしていた。大袈裟にいえば胸騒ぎがした。
こういう日は、ふだん何気なく、まあいいか、と、済ませていることを改めたほうがい
言いたいことがあってもなくても、ことばが使えるのはいい。それが偽造でなければ。
きのう久しぶりに職場に出た。シフトの都合で連休が長引いたからだが、生のことばが行き交う市場で買い物をしたような感覚があった。おかげでだいぶ楽になった。このところことばの袋小路にはまったようなところがあったので。
そう、いま買い物といったけれど、財布からお金を出し入れするように、ことばを使えるようになった、といったらいいのかも知れない。小銭のようなことばでも、一万円札のようなことばでも、出したけれ
記憶なんて言いたいことの塊だ。特に自分のそれなら手加減して相手しないと痛い。
きのうの晩はマジメに困っていた。思い出したいことがあり、ある方とのメールのやりとりを検索していたのだが、まったく見当がつかなかった。相手があってのことで、これなので、この日記を読み返す必要がないのは明白だった。
正直うんざりした。というか、自分の記憶そのものがいかに都合がいいものかということだった。実際きのうは職場のシフトを間違えた。休みなのに出だとばかり思ってバスに乗ってしまった。出勤表を見間
役割をつかさどることば、の、卵をあっためている。実際に役割に入るまでの時間ギリギリまで。
三日連休があり、今日からまた放課後クラブへ出勤。風邪と思われた症状もすっかり元気になったので、からだ的には問題ないのだが、いわゆるコミュニケーションについてのことが気になる。三日間でも、連れ合い以外の人たちと触れ合わないでいたので単純に緊張感がある。
もともと集団が得意ではなく、無関係の人々の雑踏のなかにいるのは、構わないのだけれど、なんらかの役割を与えられた集団の構成員、ここでは職場の人たちと