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太陽の光に押し倒されそうになりつつ、それでもなにかは言いたがる。
気持ちや気分はいったい誰のものだろう。自分のものに決まってるという人がいるだろう。でもそういった気持ちや気分がころころ変わり、その時に発したそれらをいつも把握していられないとしたら、それはもしかして自分のものではないかも知れない。
かくいう自分というわたしがそうであり、それが躁鬱病ということだとしても、こういうバラバラを言葉という容れ物に入れるのは厄介だ。だからいっそずっと黙っていたいのだが、そ
何もかも、起こるまでは、現実ではない。それは、ことばですらない。
動物的な勘、カンが、働いてうんざりすることがある。たいてい当たる。布団から起き出してふと、というタイミングが多い。
今朝は実際にそれが的中した。飼い猫が食事の直後にカーペットに吐いた。たまにあることで、仕方ないのだが、今回は猫の、吐きたいけれど、食べたい、みたいな思いをキャッチしていた。大袈裟にいえば胸騒ぎがした。
こういう日は、ふだん何気なく、まあいいか、と、済ませていることを改めたほうがい
言いたいことがあってもなくても、ことばが使えるのはいい。それが偽造でなければ。
きのう久しぶりに職場に出た。シフトの都合で連休が長引いたからだが、生のことばが行き交う市場で買い物をしたような感覚があった。おかげでだいぶ楽になった。このところことばの袋小路にはまったようなところがあったので。
そう、いま買い物といったけれど、財布からお金を出し入れするように、ことばを使えるようになった、といったらいいのかも知れない。小銭のようなことばでも、一万円札のようなことばでも、出したけれ
記憶なんて言いたいことの塊だ。特に自分のそれなら手加減して相手しないと痛い。
きのうの晩はマジメに困っていた。思い出したいことがあり、ある方とのメールのやりとりを検索していたのだが、まったく見当がつかなかった。相手があってのことで、これなので、この日記を読み返す必要がないのは明白だった。
正直うんざりした。というか、自分の記憶そのものがいかに都合がいいものかということだった。実際きのうは職場のシフトを間違えた。休みなのに出だとばかり思ってバスに乗ってしまった。出勤表を見間
役割をつかさどることば、の、卵をあっためている。実際に役割に入るまでの時間ギリギリまで。
三日連休があり、今日からまた放課後クラブへ出勤。風邪と思われた症状もすっかり元気になったので、からだ的には問題ないのだが、いわゆるコミュニケーションについてのことが気になる。三日間でも、連れ合い以外の人たちと触れ合わないでいたので単純に緊張感がある。
もともと集団が得意ではなく、無関係の人々の雑踏のなかにいるのは、構わないのだけれど、なんらかの役割を与えられた集団の構成員、ここでは職場の人たちと
あたまもからだもことばさえもニセモノなら。あとはただ変わっていくだけだ。
きのうあたらしいニセモノになるなどと息巻いていたが、寝床から起きて毎日の日課からこなす。飲尿。快便の確認。まずいコーヒーを飲む。体調不良で控えた筋トレを再開する。この日記もつける。どこもあたらしくない。
ただ、あたらしいニセモノ、になるという了解は、、そう、了解という感じだけれど、それを受け入れる感触はある。ニセモノのあたまとからだ。ニセモノのことば。それを引っ提げて、自分でも気づかないところで
くだらなく突破した。わたしは明日を待たずに、あたらしいニセモノに、なる。
外に出て木を剪定した。隣家との境にあるサザンカが思っている以上に枝を伸ばしていた。ワイヤー仕立てのフェンスのそばに植えられているので放っておくとすぐに越境しようとする。一度注意をされたことがありにそれから気がつくたび切った。
自己流つまり適当だから、どこをどう切ればなどとは考えない。文字通り思ったままに小さなノコギリで落としていった。常緑樹らしい生木からでる匂いが立ち込め、他の捨てるものと一緒に
五年ぶりに流行りを体の中で繁殖させた、と、思われる。とにかく養生したい。
きのう、からだが痛い、寝ている間に夢の中で動き回っていたのかな、などとなど無邪気に空想していたら、食欲がまったくなくなり胃がムカムカしだした。悪寒もしだした。ああ、これはあきらかに、風邪か、いま流行りのアレか、ともあれなにかに感染したことは間違いないようだ。痛みも、腰とか膝とか手首とか、あきらかに関節に集中しはじめて、といって喉が腫れているわけでもなく、なんであれウイルス性のものかなと想像した。
寝ているあいだに無意識に運動? 異空間に行っていた? なんて妄想する。
目が覚めてからからだが痛いことに気づいた。別に普段よりからだを動かしたわけでもなく、思い当たることもない。それで勝手に妄想してみた。
もしかして、寝ている間に、どこか違う空間で動きまわっていたのか? そんなはずはないことは、たしかだが、そういえば似たような経験は前にもあって、もしかすると覚えていない夢のなかでやたらとからだを布団のなかで動かしまわっていたのかも。布団がはがれるほどのことは、なかっ
予測ばかりして、結局、出たところに従う。どこかの報道ではない。わたしのあたまの中の状況。
あたまのなかが、とっちらかって、収拾がつかない、そういうときは黙ってぼうっとしているか、あるいはひたすら独り言をいっているか、どちらか、あるいは両方で、やり過ごすが、いまは出かける前の自宅の中なのでどちらでもいい。連れ合いにはさいわい慣れてもらっている。それに甘えていかにも変な人になる。
でもいまはそのどっちにも組し得なくて、勝手に困っている。。今日に始まったことではなく、このところの傾向だ。わ
ことばに出来ることだけ、ことばに任せて、あとは食べて出して息をしている午後。
カレンダーの都合と勤務先の都合で、休みがおおくなり、暇を持て余しているせいもあるが、ついあれこれ考えることが多いなか、いきなりつまらないことを書きつけては午前中をうんうん渋い顔をしていた。
何かをいい表すには、いろんな思いが出てくるわけだけれど、それをいちいちことばに変換するには、限界があり、といってあまりに言い方や言い回しなどを選んでいると袋小路に入ってしまう。そういう迷路をたのしむ向きもある
キリのないことにキリをつけようとキリキリ舞いとは、脳内で観客なしの落語を真似るみたいだ。
時間を気にしながら書いている。時間を気にするのは、毎日、何であれ書くと決めてこの日記をつけるようになってからで、もっと正確にいうとどのタイミングで書付けるかが気になってしまう。生活の順番というか、歯磨きしたり着替えたりするいつもの決まった振る舞いの中にどう組み込むか。行ってみれば身支度をすることの一つにこの日記も含まれているということかもしれない。そう思うと、なるほど時間が気になる訳で、なるべく早
もっとみる二日酔いの夢をみて、起きてもまだ二日酔いだった。どちらもまぼろし。なのに体感をともなって。
酒を飲んだ夢をみた。もっと言えば二日酔いになっている夢をみた。わたしはいわゆるアル中だったがいまは飲んでいない、、と、そこはちょっと微妙で後で述べるともかくも、二日酔いの夢だった。
こんな感じだった。。以前に住んでいた街。だいぶ様子は違うがそうだと認識している。そこを、歩いているのだがとにかく苦しい。体がうまく動かない。子供の頃の夢では走ろうとするとなかなか進めないということがあったが、そういう
書くことの無意味が無駄でさえ、なくなって、ただそれでいいという錯覚に落ちる。
朝から雨、寒さが和らいできて、こうして雨だとなにか植物のスイッチになっているような気がする。じょじょに目覚めていくというか。
連休も三日目で、なにもすることがないという状態で、なにも書きたくないというか書かなくてよい、それでも書きつけることの、無意味が、手触りをともなっている気がする。無意味でも、する、その無駄が、どこにも行き場なく宙に浮いているというか。そもそも無駄ですらなくなって、ただあるみ