【読書感想文】出会ってしまった話【なにかの】
こんなところでうろうろしてる連中なんてのはどこかで何かに出会ってしまった連中だろう。自分のなかの怪物のようなもの。自分の全部を変えてしまうような、それまでとこれからをもしもそれに出会わなければ、違う人生を送っていただろう存在。その人生は平穏な人生かもしれないし、もしかしたらたいくつな人生かもしれない。
心当たりはあるだろう?
誰かにとって怪物は26年前のテレビアニメかもしれない。別の誰かにとっては水晶の中の姫かもしれない。それともさらに別の誰かにとっては画面の中でおしゃべりをしながらゲームをする女の子かもしれない。
僕にとってはある小説のシリーズだった。シリーズの名前を「戯言シリーズ」という。
始まりは親に連れていかれた図書館だったのを覚えている。絵本からもう少し文字の多い本に背伸びをしようとしていたころ、えらくきれいで印象的な表紙の奇妙な大きさの本があった。電子的な曲線を多用した青い女の子の絵。並んでやはり電子的な円を多用したオレンジの女の子の本。
作者は西尾維新。今では「物語」シリーズの作者という方が有名なんだろうか。一応推理小説の文学賞であるメフィスト賞を受賞した「クビキリサイクル」から戯言シリーズをスタートさせた。
”一応”とつけたのはあくまで”一応”でしかないからだ。たしかこのころに同じくらいの年齢の佐藤友哉やら舞城王太郎やら北山猛邦やら……なんというのだろう、推理小説の枠組みの中でライトノベルというか…キャラクター小説をやる世代があってたんだよ。エロゲと名乗ってればなんでもできた時代と同じような感じで。
戯言シリーズもまた推理小説ではあったのだけれども、僕が好きだったのはキャラクター小説としての部分だったのだと思う。頭のねじの外れた破天荒なキャラクターたち。胡乱でただほのめかされるだけの設定たち。書かれたことをもとに書かれていない世界の部分を想像するのが好きだった。
今にして思えば、上遠野浩平バースやエヴァンゲリオンの影響をもろに受けた世代だったということなのだ。それこそ大塚英志のキャラクター小説。存在しない本伝を語るための外伝。
話を戻そう。戯言シリーズは「キミ」と「ボク」からなるセカイの物語だ。今となっては懐かしい00年代のセカイ系。
エロゲをするにもエヴァを見るにも若すぎた当時の僕にとっては初めて触れるセカイ系だった。夢中になって読みふけったものだよ。図書館に行くたびに見てない巻がもどってないか確かめて、最新刊に追いついてからお昼代を使って既刊分をそろえたもんだ。確かサイコロジカルあたりで追いついたんだっけな?
最終章は少し時間があいたのを覚えている。一年か、二年か…今調べたら一年半か。小説のスパンとしては驚異的に短いな。まあ、青春時代の少年にとってはそれなりに長い時間だ。一日千秋の気持ちで待っていたよ。
待っている間にファウストを読んだり、それこそ佐藤友哉やら舞城王太郎やらを読んだりした。京極夏彦なんかも読んだな。同じようなルートをたどった人はそれなりにいるんじゃないかな。
さて、千の秋もやがて過ぎた。最終章「ネコソギラジカル」刊行さるとの広告が新聞の下段広告に載っているのを見た。僕はとくとくと親を急かして近所の本屋に連れて行ってもらったものだよ。
ネコソギラジカルは上中下の三巻に分かれていて、四ヶ月くらい間隔を挟んで刊行された、らしい。よく覚えてなかったので今調べた。(少年時代の時間の感覚なんてあてになるかい?)
そして結局最終章の最終巻で物語は完結した。あたりまえだけれども。ミステリーなので登場人物のうちの何人かは生き残り、彼らは少しだけ成長したりしなかったりして明日へ生き始めて物語は閉じられる。
読んだときはどう思ったのだろう。完結した、と思いはしたと思う。でも、少しだけ釈然としない気持ちもあった気がする。語られなかった物語があまりにたくさんあったから。いや、それだけじゃないね。
語られない物語はまあそういうものだったと思ってもいい。
釈然としない気持ちの正体は、キミとボクの子供じみた世界が急に断絶していた大人の世界になってしまったような気がしたからだと思う。物語が終われば子供は大人になる。でもそうじゃないと思っていた。思いたかったのかもしれない。終わらずにあの世界に居続けたいと思っていたのかもしれない。(今でも思っている?)
続いて西尾維新が書き始めた物語シリーズは、途中で読むのを止めてしまった。嫌になったからとかじゃなくて、単純にスペースと手持ちの問題だ。え、っていうかまだ出続けてるの? パねえな。あと今ちらちら調べたらりすか(魔法使い)とか西条 玉藻(光モノが好きなおきゃんな子)とか出てくるの? だいぶ読みたさあるんだが。
戯言シリーズは実家に置いてある。帰省しても開くことはない。あのときは釈然としなかったけれども、今ではちゃんと完結したんだとわかっているから。僕が出会ってしまった怪物はちゃんと完結した。世の中には26年待たないと完結しない物語もあることを考えればずいぶん良心的だ。
ただ、まあいろいろ残ったものはあるんだと思う。キャラクター萌えだとか性癖だとかは骨に染みついているものだけの話じゃなくてね。今この記事を書こうと思って画像を調べたら、すげー懐かしい気持ちになった。本を読んだときの夏の匂いや、新刊で買いに行った今はもうない本屋の間取りとか、ぼんやりと浮かんできて、すこしうっすらと涙が出そうになったもんだ。
そういう作品があるのは悪い気分じゃないね。
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え、りすか完結したの? さすがに買うか……