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祖母が亡くなりました

こんばんは。ゆうさくです。


タイトル通り、私の祖母が亡くなりました。
訃報を聞いたのは、昨日の朝でした。

享年93歳。
大往生です。


病気や怪我ではなく、
老衰によるもの。

最後は特別養護老人ホームで
看取っていただきました。


亡くなる2週間前、
LINEビデオ通話で祖母の顔を見れました。
(祖母は大阪、私は埼玉)


それはもう、穏やかな顔で。
反応は薄いし喋れないのだけど、
苦しんでいる様子もなく。

あたたかそうな布団の中で、
孫達の写真に囲まれながら、
どこか微笑んでいる表情の祖母がいました。


それから2週間。
静かに息を引き取ったと、
姉から連絡を受けました。





おばあちゃん。


今まで、ありがとうね。


いつも穏やかで、
いつも笑顔で、

その温かさや優しさ、
本当におばあちゃんの孫でよかったです。


おばあちゃん、天国にいったら、
おかんに会えるよ。


おばあちゃんより先に逝ってしまった、
僕のおかん。


ホンマ、親不孝な娘やでな。

天国でしっかり怒ったってな。

でも、そのあとは、
いっぱい抱きしめたってな。


おじいちゃんにも、
30年振りに会えるね。


きっとおじいちゃんは待ちくたびれてると思うわ。

おじいちゃんともいっぱい話してね。


おばあちゃん、今までありがとう。





身近な人が亡くなるのは、とても辛いです。
とても悲しいです。


だけど、人はいつか必ず死ぬ。
長生きの末かもしれないし、
明日事故で、かもしれないし。


だから、本当に大切な人は、
常日頃から大切にしたい。


想いはその時に伝えたい。

感謝は常に伝えたい。

してあげられることは常にしてあげたい。

そうやって、周りの大切な人とは
心で触れ合っていきたい。



また、当然自分にも、死は訪れる。


だから、
たとえ明日死んでもいいように。


今日という1日を、

今という一瞬を、

しっかり味わって、
しっかり生きるんです。



誰のための人生か?

人のためじゃない。


自分の人生なんです。


自分の時間なんです。
1日24時間、
1分1秒全て、
与えられて、持っているのは、自分なんです。


誰に奪われるものでも、
誰に過ごし方を決められるものでもない。


だから、
自分がしたいことをしっかり自分に聞いてあげる。
それが人のために何かする、ということなら、
自分が喜ぶために、人に何かするわけで。

人に危害を加えたりひどいことをしないのは、
そんなことをする自分が嫌だから、
だからしないわけで。


自己中心的とは違うけれど、
良い意味で、自分本位でいいのです。



1分1秒無駄にしない。
与えられた時間すべてが、自分の生。


そうやって日々を噛みしめて、
自分という人生を生きていこう。


そんな風に、改めて思わせてくれた出来事でした。

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