【短編小説】かぼちゃの煮付け
思えば、私は好き嫌いが人一倍多い子供だったように思う。
なぜあんなにも食事を選り好みしていたのかわからないが、とにかく自分の想像とは違うものが口の中に入ってくることが嫌で仕方なかった。
その中でも1番好まなかったものが「かぼちゃの煮付け」だった。
おかずのくせに甘ったるい感じと、のぺっとした食感が好きではなかった。
かぼちゃの煮付けは、いつも白米と共に口へ運ばれるのが当然かのようにおかずの顔をして食卓に現れる。
やけに堂々として、偉そうなかぼちゃを見るだけでも私は妙な苛立ちが抑えられなかった。思わず、げえっと口に出していたこともあったと思う。
こんなもの食べられる日が来るわけない。そう思っていたが、その日は突然訪れた。
数年ぶりに食卓へ現れたかぼちゃの煮付け。
一目見るだけでも嫌だったのに、何故だか私の中にあった抵抗感は薄れていた。
好まないことはわかっていたのに、
オレンジ部分を箸の先で小豆サイズにつまみ、
恐る恐る口の中に運んだ。
美味しい。
自分のことなのに予想外の感想に思わず目を見開いた。
甘くてのぺっとした感じは想像の通りだったが、
数年越しの私にはその甘さがほどよく、優しい口触りに感じた。
味が変わったわけではなく、私の味覚が変わったようだった。
隣で食事をとる母が感想を聞いてきた。
「どう?美味しい?」
素直に美味しいと言えばよかったのに、私は咄嗟に嘘をついてしまった。
それを拒否する反応を示したのだ。
過去の自分と同じように。
母は「そっかぁ」と少し残念そうな顔をしたが、
予想通りだったようですぐに自分の食事に戻り、かぼちゃの煮付けを口に運んだ。
母には悪いことをしたと、罪悪感を感じた。
それでも私は、幼ながらに少しでも大人になりたくなかった。自分が変わっていくことが怖かった。
まだまだ子供でいたいのに、どんどん見た目だけ成長する自分や周囲の環境に気持ちがついていかなかった。
だから、せめて、せめて、親の前ではまだまだ好き嫌いをする子供のままでいたかった。
それから10年たった今でも、
なんとなく母にはかぼちゃの煮付けが食べられるようになったことを言えていない。
母の中できっと私はまだ、かぼちゃの煮付けすら食べられない子供のままなのだ。
そんなことをふと、実家に帰る新幹線の中で思い出した。今日は社会人になってから初めて帰省する。
母から何か食べたいものはあるか、と夕飯のリクエストを受け付ける連絡が入っていた。
家に帰ってお茶をしながら、母に真実を打ち明けてみようか。そして、一緒にスーパーへ買い物に行こう。
材料を買って、料理をして、いつでも母のかぼちゃの煮付けが作れるようにレシピを聞いておこうか。