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Episode 688 「微笑み返し」ができません。

最近は大々的に結婚式をする…とか、少なくなってきたように思います。
ウチの長女の結婚式が年明け直ぐのタイミングであったのですが、結婚式場を使わずに、ごく近い親族だけを呼んで行う「レストラン・ウェディング」という形での挙式だったのですよね。
近しい親族だけですから、お祝い金も引き出物も無し…まぁ、貰っても困っちゃうような引き出物などない方がよっぽどスッキリするので、それで良いと思ったのも事実です。
それもまた、時代の流れ…でしょうかね。

さてさて、ASDの「他者視点のなさ(弱さ)」がどうして自他境界の緩さを作り出してしまうのか…という点についてのハナシ、今回はその続編です。

前回の記事では、私の小さかった頃の記憶…「日本地図パズルを完成させて褒めてもらう」という経験から、ASDの中には「モノ」をアンカーポイントにして世界と繋がる私の様なタイプがいることを指摘したのです。
それをギュッとまとめた表現がこのツイート…。

このツイートは以下の様に続きます。

自らを目立たせることで自分への注目を集める、気付いて欲しいあなたを自分の視点に引き込むことで世界を共有する手段を見つけるとすれば、他者視点がないが故に自他境界の線引きが曖昧になる現象の説明が付く…と、その道筋が見えてくるように思うのです。

つまり、ASDの私が納得でき、且つあなたの興味も満たせるものを提示することで「あなたの喜びを確認する」という方法で、あなたとの繋がりを確認する手段を得た…と言うことです。
但し、この方法には弱点があって、本当にあなたと私の興味関心が共通の場合には全く問題がないのですが、あなたが私の提示したモノではなく、私の注意を引きつける行動に関心がある場合には、興味の対象にズレが生じるワケです。

私の視点にあなたが共感を示してくれた。

コレが意味するところは、あなたと私の感動の視点は共通である…ということで、興味の対象を同じ思いで見ている…という認識を生み出す原動力になる様に思います。
この感覚と視点/論点の行き違いが定型一般から見たASDの「自他境界の緩さ」で、その原因を探れば「他者視点の無さ(弱さ)」という、ASDの本質に突き当たるのだ…と、私の思うのです。

ここが分かると、あなたは私の考えていることを理解してくれている…という前提で物事を進めてしまう、ASD的な「(会話)飛ばし」の感覚も想像できる様に思います。
例えば…。

あなたの喜ぶモノを必死で探し、あなたの「ありがとう!」引き出した(と思い込んでいる)私は、その逆の立場に置かれた時に、あなたが私の望んでいるモノを探し当てられないことに戸惑うのです。
今から5年ほど前に書いた「貰う方はニガテです。」という記事には、「モノヘのコダワリ」が強いASDの私はプレゼントを贈るのは得意でも、貰うモノは気に入らないことが多くて、せっかくのプレゼントを上手く使うことができない…と言うようなことが記されているのですが、他者視点の無さ(弱さ)を考えているうちに、「コレは本当に『モノへのコダワリ』という部分だけで処理して良いハナシなのだろうか」…と感じたのです。

「あなたは私の喜ぶモノを理解してくれているハズなのに、何で私が欲しいモノとは違うナニカをプレゼントするの?」

この感覚の奥にあるのは、他者視点というあなたの視点が上手く認識できないが故に、自分視点にあなたを引き込むことであなたとの繋がりを確認するASD視点なのではないか?

あなたが私に共感してくれたのは、プレゼントそのものではなく、あなたのために考えて行動する姿勢に対してのリアクションであって、「微笑み返し」の行動だったかもしれない…と言うことが、ASDの視点からは見えていない…コレは前回の記事で指摘したことです。

その逆の立場に置かれた時、ASDの私は「微笑み返し」の理屈がわかっていないワケですね。
あなたが選んだプレゼントそのものが私の満足を引き出す以外に「あなたの行動そのものを労う」という視点が備わっていないから、あなたを「私の興味関心(視点)」に引き込めなかった私は、私のことをわかってくれないあなたに戸惑うことになるのだと思うのです。

モノをアンカーポイントにした他者とのコミュニケーションの核心は「対象になるモノへの共感」で、対象のモノについて共通の認識を持つことで成立する…と、考えます。
すると、あなたと私が共通の認識に立つには、コミュニケーションの暗黙の了解にならざるを得ません。
あくまでも仮説ですが、「他者視点」の代わりにモノをアンカーポイントに採用したASDの場合、あなたと私は同じことを考えていることが思考の原点としてセットされてしまうことになるワケです。
ここに自他境界の緩さを作り出してしまう仕組みが見えてくるように感じます。
「(会話)飛ばし」の原理もコレと同じ…私とあなたの興味関心を一致させることが、良好なコミュニケーションだと理解するとすれば、「良好なコミュニケーションができる相手と私は共通の認識を持つと思い込む」が発生するよね。

結婚式で「おめでとう!」と言いながら、箱を開けることなく押し入れの奥に眠らせている引き出物には、「結婚式にきてくれてありがとう」という気持ちの表現である引き出物を笑顔で受け取る「微笑み返し」の気持ちがあるワケですよね。
さすがに「引き出物なんてクダラナイ」なんて結婚式のお祝いの席をぶち壊すようなことは言いませんけどね、日常の些細な出来事に小さな「微笑み返し」ができなくて、あなたを傷つけるような小さなことがいっぱいあるのだろう…などと思うのです。

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