Episode 436 見えている世界が違うのです。
年功序列という仕組みがあります。
これは、官公庁や企業において勤続年数、年齢などに応じて役職や賃金を上昇させる人事制度・慣習のことで、今となっては古臭いと思う人も多いだろう「昭和の仕組み」です。
時代は進み、実力主義・成果主義が徐々に持ち込まれてきて、その仕組みが緩んできたのが「平成」という時代なのだろう…と思います。
年功序列が成立できた背景は、右肩上がりの経済成長と、ピラミッド型の年齢別人口構成だったことがあると思ってます。
私の親世代がまさにそんな時代…「高度経済成長」があったからこその社会システムだったのでしょう。
この頃の社会の常識は「むかし話」的な価値観が生きていて、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」…ってな具合に分業するのが一般的だったワケで、男性は外に仕事に出掛け、女性は家事をする所謂「サラリーマンとその妻」って時代です。
一家の「大黒柱」である父親が「家族を養ってやっている」という考え方が大手を振ってまかり通っていた…というのが私の思い描く当時の世界観です。
それが良いか悪いかは別の話…今から見ればおかしな部分はいっぱいあるワケですが、当時はそれが普通だったのです。
私はそんな価値観の親から生まれ、その価値観に従って育てられたのです。
「男は家族を養う経済力がなければいけない」…は、知らず知らずのうちに私の心に植え付けられてきたのだと思います。
時代は進み、オイルショックの辺りから経済の成長力に陰りが見え始め、平成に入ってバブル崩壊で時代の変化が決定的になっても、人の気持ちは生きてきた時代を反映してなかなか動かないものです。
水温は気温のように急に変化しないのです。
ロスト・ジェネレーションの時代に対応すべく企業は採用を絞り、経費節減で支出を抑えて必死に生き残りをかける厳しい雇用情勢の時代になっても、男性の結婚に対する価値観の上位には依然として「経済力」がどっかりと居座っているのです。
そこには「昭和の価値観」の世代に育てられた「第二次ベビーブーム」と呼ばれる私たちの世代があって、その後…次第に世相を反映して、水温が下がるように価値観はゆっくりと変化していくワケです。
バブル崩壊後の社会で生きていくには、ごく一部の「勝ち組」と呼ばれる高所得の方々を除き、年々上昇するでもない頭打ちの給与の中でいかに生活していくのかなのですが、結果的にこれが女性の社会進出を後押しする一因になったのだろうと私は思っています。
大黒柱の稼ぎだけでは生活が成り立たなくなってきて、共稼ぎという選択をせざるを得ないということです。
ところが、この状況になっても水温は急に下がらない…結果、無意識の内に「嫁をもらう」から始まって、「家事を手伝う」「家族サービス」などという昭和の残骸が男性の思考の片隅にあり続けるのです。
その一方で女性は如何にして社会に出るのかで悩みます。
背に腹は変えられないのです…社会を取り巻く経済事情は大きく変わっていて、生活のために働かなければならないのです。
それだというのに、長い時間をかけて作りあげられた男性優位の「社会の常識」に社会に出たい女性の足並みは揃いません。
さらには出産と子育てへの理解も…同じ理由で進まないのです。
つまり…女性は妊娠と出産を機に家庭に押し込められる圧力と、家計を支えるために外に出ていくバランスを求められるのです。
これは私が描く「オトギバナシ」です。
女性の地位向上などが声高に叫ばれるたびに思うのは、セットで考えなければならない男性の「女性に対しての権利・権限委譲」と「家事・育児のシェア」という発想の貧困さです。
スズメの網は外に出ようとする女性を阻み、中に入ろうとする男性を阻むのです。
これが私の思う社会の常識という「スズメの網」の正体。
網の外にいる白鳥と、網の中にいるツバメでは見えてる世界が違うのです。
所属するコミュニティが違うということがどれほど大きな差なのか…ということは、知っておかなければならない事実だと私は思うのです。