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Episode 353 時代で違うと思うのです。

私の父親は昭和の高度成長期を作り上げたサラリーマンのひとりでした。
週休二日制なんてあり得ない時代…家にいるのは日曜日だけ、朝早く仕事に出かけて帰った来た頃には私は夢の中…。
平日は「おはよう、行ってらっしゃい」を言う程度しか一緒に過ごせませんでした。

休日の日曜日はゴルフの打ちっ放しに行くとかクルマを洗っているとか…とにかく家事は一切しない人で、育児にも関わらない人でした。
時代背景もあるのだと思います…サラリーマンとその妻の時代。
家を預かる専業主婦の「職域」には手を出さないワケです。

ゴルフの打ちっ放しに付いてきたければ来ればいい…でも、カマってくれない。
コインを預かって父親が打つボールを受付から受け取って運ぶ、後は打ち終わるまで「お駄賃」のジュースを飲みながら待っているだけ。
洗車に付き合うならワックスがけを手伝えばいい。
終わったら「お駄賃」のアイスを買ってあげるからな。

私が幼稚園の年長組の時だったと思います…ある日、父親が野球のグラブを買って帰ってきました。
どこで買ったのか知りません、どこのメーカーか分からないような変なマークの付いた「バッタもの」でしたが、私はすごくうれしかったのです。
父親が私のことを考えてくれていると思ったのは、その時が初めてでした。
時代は野球黄金時代、男の子の多くがベースボールキャップに憧れていた昭和50年ごろの話です。

次の日曜日、さっそく私は父親にせがんで初めてキャッチボールをします。
期待に胸を膨らませてグラブを構えて…大きく振りかぶった父親が投げたボールは、白球うなる速球でした。
「捕れるようになるまでちゃんと練習しておいてね。」
一球で終わったそのキャッチボールを私は忘れません。

今思えば、父親は典型的なASD者です。
私への行動が「自分目線の思いやり」であったと思えば辻褄が合うのです。
ゴルフが面白くて、その面白さを伝えようと打ちっ放しに私を連れて行くのです。
ピカピカのクルマは気持ちいいし美しい…その美しさを分かって欲しかったのです。
野球は技術があってこその面白さ…だからボールが捕れるようになって欲しかったのです。

でもそこには、私のレベルに合わせる努力がない。
幼稚園児が自分の父親と同じ思考回路で考えられるわけがないのです。
父親も「自他境界の緩い感覚」の持ち主だったのだろうと思います。

今年で81歳になった父親が、50年以上も母親とやってこられた理由。
それは間違いなく時代背景です。
女性の人権が軽視されていた時代、三歩下がって三つ指ついて、父親のすることに母親が文句のひとつも言えなかった時代。
それが社会の常識だった時代です。

あなたに逢った その日から
恋の奴隷に なりました
あなたの膝に からみつく
子犬のように
だからいつも そばにおいてね
邪魔しないから
悪い時は どうぞぶってね
あなた好みの あなた好みの
女になりたい

奥村チヨが歌う「恋の奴隷」なんて、今思えばとんでもない歌がヒットしてしまう時代です。

幸いなことに父親に暴力性はありませんでした。
私も「聞き分けの良い子」でしたから、いたずらで怒られるようなことをしたことが無くて。
母親も父親の意見をほぼ100%尊重する「ザ・昭和」の母親だった、暴力的で無いが故に許容される関係性だったのでしょう。

1975年、その当時…今とは違うASD者と定型者の夫婦関係があったのだと、両親の姿を振り返り、私はそんなことを思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/2

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