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Episode 747 「見て覚える」タイプもいるのです。

先月末の「公開版『自閉文化を語る会』抽象的コミュニケーションは苦手…は本当か?」で話題になったハナシを、もうひとつ掘り下げてみようと思います。

録音の後半…1時間36分あたりからでしょうか、まかろん (@makaron_jp2911) さんの発言から、話題は「曖昧な表現が苦手」とか「モノを見ているか、人を見ているか」と言う視点のハナシに向かいます。
私はこのハナシをしながら聴きながら、スタジオ地図 細谷守監督のアニメーション映画「ばけものの子」の主人公である少年「九太」を思い浮かべていたのですよ。

物語は、異世界「渋天街」に住む熊獣人の熊徹に拾われた人間の子である蓮は、熊徹に九太と名付けられて「渋天街」で育てられる、そして…というハナシなのですが。

熊徹は落語に出てくるくらいに典型的な「感覚派で短気な職人気質」なヤツでして、本人は武の達人でありながら、粗暴で具体的な説明が一切できないから、今までに弟子が育ったことがないのですよ。
比較の対象が、誰もが強さ・品格ともに一流とみる猪獣人の猪王山だけに、熊徹のだらしなさはなお更に際立つ次第…。
ロクに弟子の稽古もつけられない熊徹に、帰る場所がない九太が見出した「熊徹の技能」を習得する方法とは…。

九太は、熊徹の武術の全体を見ることを諦め、先ず足捌きだけを覚えることを思いつきます。
結果として、体の動かし方、重心の置き方が安定することになり、後付けの剣捌きにも磨きがかかるワケ。

この「見て覚えよ」…という、それこそ職人気質で具体性に乏しい環境は、Autistic に厳しそうに見える一方で、スペースの録音でマコト(@macoto_1) さんが指摘する通り、「職人などは伝統的にAS"D"者に向いていると言われる」…は、確かにそう言われるケースは多いですよね。
(録音では1時間44分30秒付近から)

「AS"D"の職人気質」って、どちらかと言うと、師匠の立場としてのAS"D"として見られがちな気がするのですよ。
寡黙で頑固な、職人のソレ。
でも当然なことながら、師匠になるには修行が必要で、それが我流なワケはないハズで。

そう考えた時、NeuroTypical (定型発達の民) と同じように、職人気質に向くタイプの Autistic と、向かないタイプの Autistic が、確実に存在することに気が付くワケです。
それを分けるのは、やはり「認知特性などの好み」など、なのでしょう。

WAIS の結果などを公表するのは、いろいろと問題があるのでお勧めできません…が、私はその昔、よくも考えずに出してしまっているので、今さら隠す気はありません。

やはりね、「見て覚える」が得意なのは、動作性IQが高いことと関係しているよね…って、思うのです。
私自身、言語性IQよりも動作性IQの方が優位で、言葉で理解するよりも、見て覚える方が遥かに手っ取り早いを実感しているタイプの Autisticなので、職人型の「見て覚える」に、あまり苦手さを感じていないのですよ。
そして見て、理解して、真似をする…を反復することに、あまり言葉は必要ない…と言うことも、実感としてわかるのです。

最近のスポーツなどでは、そこに「サイエンス」が介入することによって言語化が進んだようには思うのですが、作業の現場では「現場合わせ」の微調整を、既成の数字などに置き換えることができなかったりするのです。

多分…その「見て覚える」という視覚情報を主軸として、動き方をコピーして習得する機能を、NeuroTypical なあなたが「標準的」と思うレベルで Autistic な私が扱えるのなら、具体的な説明を含まない「抽象的な表現」での意思疎通は、十分に可能なのだと思うのです。

ただし、この「抽象的な表現」を使い切れるのは、「モノに対して」という制限が付くワケです。
村中 (@naoto_muranaka) 先生が解説する通り、「人に対するという社会的文脈/意味は薄い」(録音では1時間47分30秒付近から)…はその通りなのです。

つまり「AS"D"の職人気質」は、習得するタイミングでは過集中などの Autism の気質が発揮されても気付かれ難く、習得されて熟練度を増した後、師匠になってからの技術の伝授という段階になって「対人コミュニケーションの難しさ」という点で表現される…と言うことかもしれません。

今回の公開版「自閉文化を語る会」は、Autistic は…と、簡単に一括りにしにくいモノなのだ…を、改めて知る機会になったように思います。
私のように「職人型」の曖昧な表現を多用する Autistic もいれば、言語に強いが故に、逆に曖昧な表現を苦手に感じる Autistic もいるのだ…ということが、改めて感じられた座談会だったと、私は思うのです。


数年前、「燕三条 工場の祭典」というイベントのオープンファクトリーで見学させて頂いた「鑿鍛治 田齋」さん。
実際にのみを作りながら、具体的な温度などの情報を入れてお話しして下さったのですが、具体的な温度を言いながら、その具体性を示す温度計とかが登場しなかったのですよね。
「この色で700℃」とか、見た目の鉄の赤さで温度を言い当てるワケ。
鉄がこの状態になったらこうする、こうなったらそうする…を、見た目から正確に判断する技術に驚く限りだったのです。

note記事の主題である Autism 性とは全く関係ありませんが、職人の見て聞いて感じる感覚の熟練度には、言葉や数値が追いついていないイメージがあるのですよ。
私の持つ「職人タイプ」の言葉に頼らない感覚には、言い表しきれないジレンマが混ざっているように思うのです。

「工場の祭典」は、今年(2024年)も、10月3日から6日までの4日間開催されます。
興味のある方は、ぜひ。

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