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自己紹介と、このnoteについて

高田蛍です。1991年に岐阜県の奥飛騨温泉郷という山の中の温泉地で生まれました。18歳で大学進学のため上京。卒業後はヨーロッパで勉強し、アジアの数カ国でインターンシップをしました。2015年に帰国してからツーリズム界隈で働き始め、東京・横浜あたりにいましたが、2022年に飛騨に帰ってきて、いまは家業の入浴剤メーカーで働いています。台湾人の妻と、2023年に生まれた娘と3人で飛騨高山に住んでいます。20才の時にクリスチャンになりました。

このnoteについて

2021年くらいにたくさん書いていたのですが、その後2年ほど休止していました。ふと思い立って2024年に再開しました。Season Ⅱです!

なにを書くのか

Season Ⅰでは、「この世界の多くの人が持っている価値観・考え方と、聖書の語っていることを比較して、両者の差異を明確にした上で、問いを投げかける」みたいな記事を書いていました。
Season IIでは、聖書に関することを中心に、日々考えていることや思いついたことなどを、ざっくばらんに書いていきます。ゆるめです。

なぜ書くのか

Season Ⅰでは、記事を読む方々が、普段あまり触れる機会のない聖書の考え方を知り、世の中が語る束縛的な考え方から解放され、心が軽くなってくれたらいいな.. と思い、書いていました。
SeasonⅡは、アウトプットすることで考えを整理したい、思いついたことを誰かに共有したいから書く、という感じです。でもやっぱり、聖書について多くの人に知って欲しいという気持ちはあります。

noteを始めるに至った背景

この世の中で信じられている価値観や考え方の中には、「当たり前のものとして受け入れられているけど、実は人を束縛し苦しめている」というようなものが、多くあると考えます。

例えば、自己実現という考え方。

現代的な意味での自己実現には、「人の間には人生の充実度における競争がある。だからみんな自分の価値を自分で定義し、証明しなければならない」というような前提があると思います。

僕もこの考え方を当たり前のものとして受容し、つい数年前まではこの自己実現をしようと、頑張って生きていました。

ただ、その生き方は本当に苦しかった。いつも人の目が気になっていたし、自分の価値を証明するべく自分にプレッシャーをかけていました。そして、自分よりも「うまくやっているっぽい」人たちに対しては、妬みや悔しさやを感じつつも、どこか冷笑的な態度をとることで、自分を納得させていました。

しかし、様々な困難に直面し、「自分の価値証明のストーリー」が描けなくなった時、少し鬱っぽくなりました。

クリスチャンとして愛読していた聖書には「全ての人には不変・普遍の価値がある」と書いてありますが、「人は自分で自分の価値を証明しなければならない」などとは書かれていません。しかし当時の私は、聖書の言うことではなく、世の中の言うことを聞いていました。薄っぺらな信仰でした。

自己実現の前提にある「人の間には人生の充実度における競争がある。だからみんな自分の価値を自分で定義し、証明しなければならない」という考え方は、人を蝕みます。

この自己実現の例のように、聖書的には誤っている前提を基にした考え方が、人々を束縛し苦しめているケースが多くあるのだと思います。

私は鬱っぽくなったことをきっかけとして聖書に立ち返り、世の中で信じられている束縛的な考え方からは、少しずつ解放されているように感じています。

しかし同時に思うのは、「世の中には、束縛的な考え方を受容していることによって、以前の自分のように苦しんでいる人々が、たくさんいる」ということです。その人々の苦しみを思うと、胸が張り裂けそうになります。本当に泣けてくる。

聖書の言葉には、これらの束縛的な考え方から人々を解放する力があります。そして、その解放された状態こそが、人が本来あるべき状態だと考えます。私はそのことを伝えることで、苦しみを感じている人の心が軽くなっていくことを願うので、このnoteを書きます。

読んでほしいと思う人

この世の中で生きづらさや苦しみを感じている人、うまくいっているけど本当にこれでいいのか?というような漠然とした不安感のある人、またそのような人が周りにいる人に読んでいただけると嬉しいなと思っています。

「あなたはがたは真理を知るようになり、真理はあなたがたを自由にします」

イエス・キリストの言葉(ヨハネの福音書8:32)


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