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【雑記】適応障害になった話

こんにちは。
ただいま寒空の下、頭をクリアにさせるべく歩きながらこちらを書いています。
とても危ないです。とまれ車!!(前見ろ)

ずっと誰にも言えず、頑張りたいのに頑張れず…の繰り返しだったけど、なんとか光明を見出したので、えいやーと勢いで書いてしまおうと思います。



タイトル通り、適応障害になった。なってしまった。原因はストレス。
恥ずかしいけど隠すことでもないのでさらけ出すことにする。
精神的な症状というよりは、コロナ禍以降白髪が急に増えたのと、脱毛症状が出てきたこと、軽い帯状疱疹が出てきたことがきっかけで気づくことができた。

しんどいときもつらいときも、私は結構図太いとこもあるし全部を気合で乗り切れると思ってしまっていたから、いざ身体に症状が出てきたときは正直なところとてもショックだった。

ストレスの理由は明確に自分の中でわかっていたけれど、解消する術があるわけではなく、ただただ死んだ魚のような目で日々を過ごしていたのを覚えている。
なにか原因があるならすぐ解決したい私にとって、その状況は毒が全身を巡って徐々に冒されていくような不快でつらいものだった。

そんな中、出勤する直前にわたしは倒れた。
玄関に続く家の廊下を歩いていると、突然目の前がぐるぐる回って世界がぐにゃりと歪み、そのまま気を失った。

数時間後、そのままの状態で目が覚めた。
完全に体が冷え切った状態で、どうしてこうなったか覚えていない。
時期が時期なら体に支障もあっただろう。
我ながらゾッとした。

病院に行って適応障害と診断されてから、仕事の量をセーブさせてもらうことにした。
本当は完全に休んだほうがいいそうだがそういうわけにもいかず、少しずつ離れられるように整備していく。
私の仕事などはリモートでもできるようにして、社員に任せることも多くなっていった。


そうすると心の負担が少しずつ減っていったのか、症状はあまり出ないようになった。
しかしながら、忙しいときが続くとどうしてもめまいがしたり、強い不安感でパニック状態になったりと自分でもコントロールができなくなってしまう。
職場に行きたいのに行けないとなると、それがまたさらにストレスになり、症状が重なっていく。

家の中でも仕事の話になるし、どうしても逃げられない状態だった。


誤解のないようにしたいのだけれど、私にとって自分の仕事は大好きで、接客については天職だとまで思っている。
お客様や従業員と楽しく接する時間がなによりの癒やしでもある。
仕事内容や人間関係にも不満はなく、社員全員、パートさんとの信頼関係も築けていたと思う。
職場の人間関係については1番心血注いでいたところだ。
わたしのストレスの原因は、簡単に言うと夫との経営方針の違いであった。
船頭は2人いらないし、これまでお店は自分が守るんだと息巻いてきたけれど、結局のところ私のお店ではない。

わたしは決めたらすぐ動かないと気持ち悪いタイプなので、自分の責任に於いて一存で行動できないことにストレスを感じていたようだ。
(夫が悪いわけではない)

それならばいっそお店を離れたほうがいいのか、もしくは離婚かと思って悶々としていたところ、
尊敬する知人から

起業すれば〜?

とふんわり言われ、目の前が開けた気になった。
どこかで自分でも思っていたことだったのだと思う。でも言葉に出すことさえ不義理であるような、そんな気がしてしまっていた。

それが昨年末。
来月には新しい会社を登記する予定だ。

心配しないでほしいのは、女将は辞めないということとお店を離れるわけではないということ。

わたしが主となる城を別に持つというだけである。
具体的な内容はまた書こうと思っている。

会社設立を進めるに当たって、ワクワクすることが多くて、適応障害の症状もあまり出なくなってきたように思う。
私の場合は本業にのみ症状が出るようだ。

もちろん仕事をセーブしているので負担がないのもあるし、気のせいかもしれないのだが。


昔から自由に意思決定して飛びまわるのが好きだったので、不自由な状況がストレスなんだなあと改めて自己理解が進んだ。

わたしは車の免許を取得したのが20代後半で、車が必須の田舎町に住んでるわりに遅かったのだが、取得前にお付き合いしていた恋人がそういえば言っていたことがある。

「どこでも僕が送迎してあげる。だからかなちゃんは免許取らないで」

いつもお姫様扱いをしてくれる人で、何をするにもほんとにどこでも送迎してくれていたが、ずっとなんでだろうと思っていた。

免許を取って自由になったらどこか飛んでいきそうで、僕はもう不要だと言われそうだ、とこぼしていたらしいのを数年後知人経由で聞いた。
なんかごめんなさい←

もちろんそんなつもりはなく、その人とは結婚も考えていたし話も進んでいたけれど結局別れてしまった。
私が事業の経営したい(当時はおにぎり屋さん)と言っていたことに対してずっと静かに反対されていて、このままこの人といても幸せになれないと考えたからだった。

それから別れてわたしは車の免許をとり、自分のBARを始めた。
※おにぎりとお味噌汁も常に置いてた


多分普通の生き方ではないのだと思う。
誰かに幸せにしてもらうという感覚が私にはなく、好きなこと、やりたいことを自由に謳歌している状態が私にとって幸せなのだ。
究極のワガママだと思うが、誰にも迷惑もかけない。
ただそれが私の大切な誰かを不安にさせるなら、程度を抑えたりするべきなんだろうとも思う。


逃げたいわけではない。
自由に飛び立たせてほしい。
必ず帰ってくる。

常々そう思っているのだけど、信頼してもらえないからきっと囲おうとされるのだと思う。
信頼というより、自由なもの、理解できないものに対して不安を持つのは人間の性であると思う。
だから私たちは型にはめたがるし、形を欲しがる。私自身も立場が変わればそうだ。
ルールと同じで、共有していればそれが絶対になり、逸脱すればどちらかが悪い、ということになる。
そのような形式のほうが楽だからに他ならないが、それを受け入れながらも、自由な環境は自分でつくるべきだと学んだ。

新しい城のことについて興味がもしあれば、また書くのでぜひ読んでみてほしい。
型にはまらない、新しい会社を作るつもりだ。


いまは会社設立のノウハウ本とにらめっこしてスケジュールに追われているが、わくわくした気持ちでいっぱいだ。
このまま適応障害がなくなっていくことを切に願っているし、同じような状況の方がいたら、ぜひ無理せずにしっかり休んでほしい。
下手に続けてしまうと長引きますでえ)^o^(

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女将かなこの日常
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