あやとり家族13
”お金がない”を言い続けたお母さんのために私がしてきたこと
夫婦喧嘩の原因は毎回お金のこと。
”お金がない”その言葉に敏感になって育ってしまった私。
今もその影響が出て生きずらい。
それが要因にもなって2回離婚することにもなった。
お父さんもお母さんも、知らず知らずのうちに私をコントロールした。
されている側の私も、もちろんわからなかった。
1番記憶に残るのは高校生の時のこと。駅から遠いところに住んでいた私は、バスと電車を使って学校に通っていた。すずちゃんももちろん同じ。2人のバスと電車の定期代は、田舎だったこともあり結構な額だった。
そしてお母さんは私に言った。
”定期代が高くて、大変なのよ”
この頃の夫婦喧嘩の内容もこのことだった。「定期代が高い、どうするのよ」
それを聞いていた私は、10km離れた学校まで自転車で行くことにした。
もちろん自転車は兄のお下がり、新しくなんて買ってくれるはずがない。
小さい頃と同じ、いつも兄のお下がり。これについては14で記す。
「私この定期切れたら自転車で学校行くから」
お母さんにそう伝えたことは覚えているが、その後の返事は覚えていない。
定期が切れて自転車で通い始める。
初めの頃は学校に着くまで1時間以上かかった。部活をやっていたこともあり体力がついてきたのか、日に日に通学時間が短縮されていく。すずちゃんと同じ高校だったけど、すずちゃんより遅くに家を出ていた。
困るのは雨が降った日だ。多少の雨なら自転車で行くけど大雨だとバスと電車を使わなければいけない。いつも通りに起きた時点で遅刻確定。
制服は学校に置きっぱなしで毎日ジャージで通学。スカートだと自転車が漕ぎづらいから。
自転車で通学を始めて1年くらい経った日のことだった。お母さんは朝から機嫌がよかったみたいで私にこう言ってきた。
「ももちゃんが自転車で学校に行ってくれて¥◯◯くらい浮くから本当に助かっているのよ」
とても嬉しそうに言っていた。金額もきちんと言っていた、忘れたけど。
それを聞いた私は”お母さんの役に立っているんだ”って嬉しく思った。
一生懸命やっていた私とは裏腹に、すずちゃんはというと、学校の帰りに駅で降りて友達とおやつ食べたり、ウィンドウショッピングしたり、マック行ったりと楽しんでいたようだった。
後になって知った。商業科に通っていたすずちゃんは「〇〇検定があるからお金ちょうだい」ってよく嘘をついてお金をもらっていたと。
私がやっていたことってなんだったんだろうって。お金がないからって頑張っていたのに、それを知らないすずちゃんはしっかり遊びに使っていて。
お金がないことも私にしか話さなかったお母さん。
主治医の先生に言われた。普通は自分が楽しいと思えることや喜びを感じることを体験して、自己を確立させていく。本当はそういうことを学ばなければいけないのにそれができなかった。
あなたは搾取されても、自己犠牲を払ってでも人のために何かするということしか学んでいない。だから、まずは自分が楽しいと思えることややりたいことをやりなさい。って。わがまましていいんだよ、そんなことで友達は怒らないでしょって。
アンテナを自分の内面に向けることができなかった私。
先生に言われて気づいて涙が出た。私のやりたいことってなんだろう。
何を嬉しく思うだろうって。今は手探りで、できることから始めている。
友達に会って自分のことを正直に話すこと、読みたい本を読むこと、運動すること。
最終目標は、気兼ねなく自分のためにお金を使うこと。