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あやとり家族11

ももちゃんに”我慢”を覚えさせて便利に使うお母さん

夜遅くお父さんが帰ってくると、テレビの音やらキッチンの音で起きる事があった。眠い目を擦って「お父さんだ!」って嬉しくて抱きついたりした。
お母さんもその頃はまだ余裕があったのか、お酒のあてを手作りしていた。

そんな楽しい記憶は少しだけ。「浮気してるでしょ?」と他の女の人のことを聞いてはヒステリーを起こす母親。私たちが大きくなるにつれお金がかかってくるようになると「お金が足りない」と帰ってくるなりお父さんに言っている。

これはプレハブ小屋の中での話。すずちゃんは何も知らない。お兄ちゃんも夜ぐっすり寝ているから起きてくることはなかった。だから聞いているのは私だけ。
寝たふりはもちろんのこと、でも寝られない。

現在、病院に通っている。主治医の見解では性格要因が大きいとにされいている。元々感受性が高すぎること。IQ検査もしたが凸凹でADHD要因もある。そういった事が原因でこういう会話も忘れられないで昨日のことのように覚えているのかもしれない。

夫婦喧嘩の原因はほぼ”お金”
小さい頃からお父さんが亡くなるまで(私が19歳の時に他界)ずっとお金の話を聞かされて育った。聞かせるつもりはなかったんだと思うけど、ももちゃんが敏感すぎたんだと思う。

それは、お母さんも気づいていたのだと今では思う。我慢することしかできなかっった私に、言う事はなんでも聞いてくれるからとの甘えだったのかな。

小学校に入ってすぐ、私は図工の時間が大好きだった。絵を描いたり物を作ったり、やっぱり他の子とは少し違う、自由にできる活動が楽しかった。だから絵の具の減りも人一倍早くて。特に白ってよく使う。空を塗るには水色だから青を白を混ぜて水色にして。

自分の思う色ができるまで繰り返す。すぐに白は無くなってしまった。

お母さんにそのことを伝えると、「すずちゃんに借りなさい」って。
でもすずちゃんは借してくれなかった。それはそうだ、赤をピンクにできる白。
そんな便利なもの借してくれるはずはない。

「すずちゃんも使うからダメだって」
「買って」初めて自分の意思を伝えた。結果、「友達に借りなさい」だった。

お母さんは知らない。私がそうやって友達に「借して」と何人にも言ったことで友達から嫌われイジメに発展していったことを。

小1から小3まで白の絵の具は補充されなかった。

お金がないからしょうがないって思っていたけど、すずちゃんはどうしていたんだろう。すずちゃんはそういうことを言うことがなかったから、多分足りていたのかばーちゃんに買ってもらっていたのかな。

ももちゃんの環境が何か違うって思うことすらなかった。
家庭環境ってその全てが、その時の子どもにとって当たり前だから。

人に頼っても答えてくれることはない、ただ我慢するしかなかった。
それを学んだ。
だって、お母さんに言っても買ってくれないんだもん。

そんなお金もなかったのか、私に我慢することを覚えさせて便利に使っていたんだと思っている。





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