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あやとり家族①

自分ができるまで

父と母が喧嘩をしている時に母が言った。「この子は私の子です!」
父は言った。「俺の子だ!だって俺のところから出たものがお母さんのところに入ってできたんだから俺の子どもだろう」
この後、二人で大爆笑していたっけ。
こんな会話を小学校に入る前の子どもに聞かせる自分勝手な親たち。
今になれば意味はわかるが当時は分からなかった。
なんで喧嘩していたのに急に爆笑しだしたのかも。

私の実家はモーテルを経営していてその敷地内に家があった。
モーテルに向かう道を挟んで本家とプレハブ小屋があり、本家には祖父母と長姉、私の双子の姉が暮らしていて、プレハブ小屋には父母と年子の兄、そして私が暮らしていた。
基本の生活は本家で過ごし、寝るときはプレハブ小屋に戻るっといた生活。

モーテルに出入りする車が通るたびにセンサーが反応して、チャイムが家中に響く。お客さんからの電話の呼び出しベルは昼夜構わずいつでも鳴る。夜間はプレハブ小屋にだけ音が鳴るように設定され、母はその音が鳴るたびに対応し、ビールのおかわりを運んだり会計をしたりしていた。
小さいプレハブ小屋だったから、呼び出しベルはいつも小屋の中に響き渡っていた。そのおかげで私はいくらうるさいところでも眠れるようになった。

夏でも冬でも起きたらまず、本家に行かないといけない。
夏は良いが冬は寒くて行くのが面倒だったが、朝ごはんを食べるというミッションがあるため行かなければならなかった。
モーテルへ出入りする車が通る道を横断しなくてはたどり着かない本家。
右を見て左を見てもう一度右を見て、車が来なければ渡る。自分の家の敷地内なのに小さい頃からこんなことをしていた。

祖母が早起きだったため、本家はいつも暖かくされていて、その中で3人分揃えられた洋服に着替える。兄と双子の姉、そして私の分だ。その服は昨日もおとといも着ていた服。冬は3日間同じ服を着るという訳が分からないこの家のルール。
そして服に着替えている間に祖母と母で作った朝ごはんが食卓に並ぶ。
四角い掘り炬燵。座る場所も決まっていて私は母の横、台所から1番近い場所でかつテレビの前の席。兄と双子の姉の席からはテレビが見える。そう、テレビを見ながらご飯が食べられる。
私がテレビを見るには振り返らないといけない。当然のごとく振り返ってテレビを見るたびに行儀が悪いと怒られる。
差別がある子育て論の出来上がり。そんな母の決まり文句は「兄弟仲良く」とか「双子なんだから」とにかく「仲良くしなさい」だった。

これがアダルトチルドレンに育った私の始まりだったのかもしれない。

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