あやとり家族20
ももちゃんの心は、我慢の限界が迫っていた。吐き出せない感情を爪を噛むことによって抑えることを覚えた。私の三種の神器。
物心ついた時には手の爪を噛んでいた。最初は伸びてきた白い爪のところだけ。
でもすぐに伸びるわけでもないから、全部噛み切ってしまうとピンク色のところも少しずつっというか、白いところと一緒についてきちゃうところだけ剥ぐようになった。
しばらくはこの状態を続けて満足していたが、爪だって早々伸びるものでもなくだんだんとエスカレートしていき、手の爪が無くなると足の爪を噛むようになった。
足の爪は口で噛んでいたが、見つかると怒られるから見えないように手で剥ぐこともあった。手で剥いでいくとお母さんに見つからないようにやっているものだから、爪ごと剥いでしまった時もある
それでも剥ぐものがなくなり、ピンク色の部分をどんどん剥ぎ始めるようになった。爪を剥ぐ瞬間は痛いのと同時にやめられない感覚に陥る。なんとも言えない、でも今ここで止めるわけにはいかない、剥ぎ取らないと。
もちろん痛いし、血も出るわけで、自分でもどうしようもなかった。
爪を剥ぎ終えると血が止まらないから、困ってしまってお母さんところに行って「痛い」って伝える。
もちろん最初のセリフは「また爪噛んで、なんで噛むの」その一言で終わりだ。
なんで噛んでいるのかって、自分でわかっていたらやらないだろう。
自分でもやめられなかった。心配してくれないことなんてわかっていたけど、絆創膏貼ってもらいたくて言っていただけ。
この爪噛みは年々ひどくなっていった。両手両足全ての爪が痛い。爪があればまだ良い方だ。自分でもやめたい。だけど伸びてくると気になってすぐにまた噛んでしまう。その繰り返し。
冬は1番の地獄だ。噛んだ爪はギザギザで靴下を履くときに引っかかって痛い。
手の爪と指の間は裂けて血が出ている。
それでもやめられない。
じーちゃんは縁側でよく爪を切っていた。その姿が面白くていつも見ていた。
「パチン、パチン」って切った後に爪切りについているやすりで爪を整える。じーちゃんの爪は大きかった。しっかりとした指に大きな綺麗な爪。私も爪切りが使いたかったことを覚えている。
私が爪切りを使い始めてまだ10年も経っていない。
流石に爪を剥ぐことは無くなった。だけど爪を噛むことはい未だにある。ストレスが溜まっている日は朝起きると爪がない。自分でも驚く。
それからは、ちょっとでも伸びたら短く切るようにしている。
やっと使えるようになった爪切り。今まで自分の口で切っていたから。
大人になったら、治るだろうって思っていたけど難しかった。
若い頃は自分の爪が恥ずかしくて、噛まないようにするための苦いネイルを塗ったり、ちょっとでも伸びたら濃い色のネイルを塗ってみたりした。
それでも爪の形が悪くて全く綺麗に見えない。それもまた恥ずかしくてやめた。
結局、今の仕事についてから自然と噛まなくなった。だけど、朝起きて爪がないことは未だに時々ある。”あー昨日切っておけば良かった”って思う。
だからいつも確認して爪切りできることにしている。
お漏らしはする、指はしゃぶる、爪は噛む
全部我慢の吐き出し口だったんだと思うんだ。
自分でもやめられなかったこの3つの癖って、我慢の結果だったんだと思う。 ”双子だから平等に育てたい”お母さんがやっていることはいつも不平等。
ももちゃんはなんでも都合よく使えるアイテムのひとつ。
そんな中生まれた私の防御の三種の神器だ。