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【本感想】サロメ
サロメ好きなのに、原田マハから先に読んだな?ということで原作の
『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』オスカー・ワイルド作, 西村考次訳, 新潮社, 2005.8, 355p
タイトルの他に『まじめが肝心』も収録されています。
全体的に物々しくどす黒い雰囲気がただよっていました。作中では、ヘロデのセリフが多いことに気が付きました。反対にサロメのセリフは少なくて、異常な内面性の描写はほとんど伝わってこなかった。ただ、「ヨカナーンの首がほしい」だけ繰り返すのです。「淫蕩の血がたぎる」と背表紙のあらすじにありますが、血がたぎっている様子は特に描写はない。セリフが少しあるだけです。踊りのシーンの描写も一切ない。「香料と七つのヴェール」を奴隷に運ばせ、サンダルを脱がせる。
サロメ 支度はできました、王さま。(サロメは七つのヴェールの踊りを踊る)
ヘロデ ああ!みごと!みとご!なんと、あれはわしのために踊ってくれたぞ、そなたの娘は。(後略)
こんな感じなんですね、原作の『サロメ』って。原田マハのメイベルのほうが、より詳しく書かれているサロメ像でした。
サロメは搾取されている側だと思います。ヘロデからの好色な目、若いシリア人からの勝手な恋心、ヨカナーンのののしり、そしてヘロデヤの連れ子という状況…サロメはヘロデに踊らされるのです。その褒美は何を望んでも良いと言われているのです。サロメがこの作品、いやこの世界の中で自らの意思で行ったことは、ヨカナーンのいる井戸をのぞくことのみ。この世界で彼女が欲したこと、それが首。宝石やクジャクと言った富や権力の象徴には興味がない。
彼女は母親からも愛されていたかどうかわかりません。ヘロデヤはヘロデの心がサロメに移ろうとするのを阻止することにしか興味がないようです。親としての心配ではなく、女の戦いのように見えます。こうした中で彼女は愛がほしかったのだと思います。ヨカナーンはサロメをののしる。好色に思われるよりも、嫌悪されるほうが近寄りやすいのでしょうか。嫌われるほど相手への思いが増すということがありますが、サロメはまさにこの状況。
サロメの長いセリフは最後に表れます。サロメは相手の肌の白さや髪を褒めるが、ののしったことも忘れない。
この作品は終始、目線がキーになっていると思います。義父ヘロデの目線におびやかされるサロメ。そして、ヘロデヤ。サロメはヨカナーンにこう言います。
「このあたしを、おまえはとうとう見てはくれなかった。もしひと目でも見さえすれば、おまえとてあたしを愛してくれたであろうに。」
サロメはヨカナーンと目を合わせるために、首を目の前に欲したのです。
見ることの恐ろしさは月を眺めたことにより気が触れたというヘロデヤのセリフにも表れています。注釈には「ローマ人の間では、人間の狂気は月の影響のためであり、新月から満月へと進むにつれて狂気の度を増す、と信じられていた」、とあります。
『ウィンダミア卿夫人の扇』も、『まじめが肝心』も、登場人物の関係性が変化するところが面白かったです。『まじめが肝心』は序盤は注が多くて難しかったですね。ワイルド時代の世の常識、みたいなものはこうしたところから読み取れると思います。