見出し画像

久しぶりに下敷きを手にして

下敷きを買ったのは いつ以来だろう。

確か、高校1年辺りまでは使っていたような気がする。

高校2年からは、学校の授業も予備校の授業もルーズリーフを使うようになっていたからだ。

テキストや教科書、辞書...とただでさえ荷物がかさ張るので、
科目別にノートを分けるより、1つのファイルに収まるルーズリーフを使っていた。

大学時代も、留学していた頃もそう。

ノートからルーズリーフへ。

そんな、ちょっとした変化と共に
下敷きと別れていたことを思い出す。

下敷き。

暑い夏には団扇代わりにもなった。

そして、私が中学・高校生の頃には
生徒はみんな、下敷きに 好きなアイドルやアーティスト、バンド、スポーツ選手などの写真や雑誌の切り抜きを入れていた。

私もそうだった。

だから下敷きが落ちていると、すぐに 誰のものかわかるようなものだった。

たとえ、名前が書いていなくても。

下敷きには、みんなの【好き】が詰まってたな。

そんなことを思い出す。

ある日、選択授業で教室を移動する時に、
誰かが パサッと下敷きを落とした。

セピアの写真に写る、オードリー・ヘップバーン。

あれ、この下敷きは誰のだっけ...

拾いながら数秒考えていると、
普段、大人しくて口数の少ない 山西さん(仮名)が 
頬を赤らめながら、ありがとう、と言って私につぶやく。

「オードリー、綺麗だよね。憧れるよ、私も」

そういう私に山西さんは耳元で囁いた。

「ほんと?ほしまるさんも好き?私も大好きなの。憧れてるの」

山西さんは嬉しそうに話してくれた。

よくよく振り返ると、その時から山西さんともちょこちょこ話すようになったんだっけ。

大人しくて口数が少ない、と思っていたのは本当に勝手な思い違い(私含めてみんな)で、
好きなものは熱く語る、とても楽しい人だった。

下敷きが繋いでくれた縁、だ。

あの時、オードリー・ヘップバーンの写真が入った下敷きが落ちていなかったら

あの時、私が下敷きを拾わなかったら。

世の中には、そんな些細な
たらればの連続で、
そのことにあとになって気づくことがとても多いなと改めて思う。

そんな私が長い年月を越えて久しぶりに買った下敷きは、ハンドメイド作家さんの作品だ。

ちょっとレトロでアンティーク。

ここ最近、私が勉強に使っているノートの大きさにぴったりのA5サイズ。

下敷きがなくてもノートは書けるけど、
どうしても筆跡が次のページにうつるのが歯がゆくて。

昔みたいに、好きなアーティストやバンド、俳優さんの写真や切り抜きだらけの下敷きを作ろうかとも思ったけれど(笑)。
かなりカオスで降り幅大きい世界観になるだろうから断念した。

それにしても、いつもと同じようにノートにボールペンを走らせるにも
下敷きがあると、とても気分が良い。

これからの勉強時間が有意義なものになりそうだ。

新たな ほしまるの相棒として
下敷きには沢山活躍してもらわなければ。





この記事が参加している募集

この記事を気に入っていただけたら、サポートしていただけると、とても嬉しく思います。 サポートしていただいたお金は、書くことへの勉強や、書籍代金に充てたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。