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純粋持続とかいうような事

    谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」に、「長恨歌」の楊貴妃入浴の連想が数日前から繰り返された挙句、意識の流れの停滞か、と疑った主人公が、ベルグソンの「一体純粋持続とか云うような事は、あれは真理なのか知らん。……」と訝る場面がある。
    その解説として、大正期は日本でもベルグソンが流行、本国のパリでは、コレージュ・ド・フランスの公開講座に俗界の貴婦人らが馬車で参じたとまでいう、とエピソードを紹介。
    その上で、今はベルクソンと呼称も"改良"されど、とんと読まれなくなった哲学者は何処へ。なお我々の意識のどこかに停滞したままであるかも。ひょっとした具合で、また連想裡に現れぬものとも限らぬ、などと語る。
    一体純粋持続とかいうような事は、はたして我々にとって何だったのか……云々と。

        ふと問ふは我をこそ問へいかにかと                                                                                 茶半

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