秋山駿の思い出 ―真剣勝負―
小林秀雄は、作家の断簡零墨に至るまですべてを読め、と言った。吉本隆明は、どこでもよい、自分の気になる所を読んだだけでその本がダメかどうかを判断してよい、とまで言い切った。
むろん、どちらも真であり、また、ハズレでもある。すべてを読もうとすることは悪くはない、だが、それではたして理解が深まるか否か。また、勝手につまみ読みして判断することはもとより自由だが、それがよい結果となるか否か、すべては各自の問題である。
それでもかつて、まるで無謀な真剣勝負のようにして、そんな断言の姿勢を見せていた彼ら「批評家」には魅力を感じたものである。当方に、つまらぬ早わかりに対する不信や、厳密な読み取りといったしかつめらしい押しつけに対する反撥があったためだ。もっとも、だからといって彼らの言うことに従ったわけではない。手当たり次第に読み込み、また、読み飛ばしてもいた。ごく当たり前のことである。
その頃、高田馬場にあった「寺小屋」(寺子屋ではなかった)という塾で秋山駿のクラスにしばらく参加したことがある。話の内容はほとんど覚えていないが、私は院生で、他の連中は学部生や公務員、会社員だった。受講者同士は、吉本隆明や桶谷秀昭の話に夢中だったが、秋山駿はそんな同輩の批評家には一切ふれず、ただ小林秀雄の批評について語っていた。
ただ初回に、私が新潮社の新版小林秀雄全集を持ち込んで開いたのを目にした時、秋山駿が一瞬いかにも胡散臭い顔をして「君はいい本を持ってるね」と呟き、持参の擦り切れたような古い創元社版の全集に目を落としたことは、よく覚えている。
私はその時、秋山駿の気持がわかるような気がした。多少なりと専門家ぶった姿勢と見えた私に対する不信が、よくわかる気がしたのだ。
大学院に対する幻滅の中で、“すべてを読んでいない”のではものも言えないという呪縛と、“すべてを読んだ”という連中の発言のツマラナサを日々見せつけられ、なおかつ、安易な断定には走るまい、核心に到達するまではおいそれと何も言えぬぞ、といった強迫にとりつかれてもいたのだ。笑止千万、だが本人は真剣勝負のつもりだった。
そんな青臭い、肩ひじを張った姿勢を見抜かれたわけである。だが、秋山駿はふっとため息を吐くようにしただけで、自分の本を読みながら話を続けていった。他の連中は何事もなかったかのように、じっと秋山駿の話に耳を傾けていた。
私は、読むとは、いかにも一人一人個々別々の行為なのだ、と思い知った気がした。
目の前にある本を手にし、ページを開き字面を追う、そこからはもう皆目他人には見えないのだ。もどかしいまでに個別の出来事である。その見えない何か、他者の言葉を追う作業がいったいどのようにしてその人固有の何かへと変じるのか、などという問いを前にして、あらためて見れば、それはやはりごく当たり前の、本を前にした者の行為に過ぎないのだ、ということが納得できる気がしたのだ。
十年ほど経って、新宿の紀伊國屋ホールに秋山駿と吉本隆明の講演を聴きに行った。秋山駿の講演は、開口一番「僕は話が下手なので」と言ったとおり、決して面白くはなかった。気の毒になるくらい自信がないようにも見えた。しかしそれは、ひっきりなしに袖口をたくし上げ、頭や顔に手をやりながら話し続ける吉本隆明の話よりは、何ほどか信頼できる気もしたのだ。
その吉本にしてからが、そこでぽろっと、小林秀雄は私よりはるかにすぐれた批評家です、と口にしたのには驚いた。なるほど、だからこそあゝして落ち着きもなく、袖や顔をいじらねばならないわけか、と納得もできたのだ。
幕が下りた後、ロビーで秋山駿と鉢合わせしたので挨拶をした。寺小屋時代のことなどまるで覚えていないかのようだったが、あゝ、君の書いたものはどこかで読んだことがあるよ、とぼそっと答えてくれた。私も、あなたの読む姿は見たことがありますよ、と返したかったのだが、そのまま雑踏の中で別れてしまった。
できれば、その人の書く姿もひと目見たかった、と思うのである。
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