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『嘔吐』を読む(18)──ブーヴィル美術館(2) ロカンタンの苦闘

 ロカンタンは、町の名士たちの肖像画が掲げられた美術館で、いったい何をしようというのか。

《私は彼のあらを探すのを諦めた。しかし彼の方は私を放さなかった。私は彼の目のなかに、穏やかな、しかし容赦ない判断を読みとった。/そのとき私は、われわれを隔てているすべてのものを理解した。彼について私が何を考えても、彼はびくともしなかった。それはせいぜい、小説のなかで作り上げる心理みたいなものだ。ところが彼の判断は私を剣のように貫き、私の存在する権利までを問題にしていた。そして、それは本当だった。私はずっと前からそのことに気づいていた。私は存在する権利を持っていなかったのだ。》

 この「欠点のない美貌の男」bel homme sans défauts、貿易商パコームの肖像の前で、ロカンタンはすでにこんな弱音を吐いているのだ。

《彼は常におのれの義務を果たした。すべての義務、息子として、夫として、父として、指導者としての義務を。彼はまた怯むことなく、おのれの権利を要求した。子供のときは、仲むつまじい家庭のなかで立派な躾を与えられる権利、汚れのない家名と繁栄した事業の後継者である権利を。夫としては、優しい愛情に包まれて世話をされる権利を。父としては、尊敬される権利を。指導者としては、文句も言わずに服従される権利を。それというのも、一つの権利は、一つの義務の別な局面にすぎないからだ。彼の並はずれた成功も(パコーム家は今日のブーヴィルで最も裕福な家庭である)、決して彼を驚かせはしなかったはずだ。彼は一度も自分が幸福だと思ったことはなかったし、快楽を味わうときも、「これは疲れを癒しているんだ」と言いながら、節度を持って快楽に耽ったに違いない。こうして快楽もまた義務と同等になり、そのどぎつい軽佻浮薄な性格を失った。絵の左側の、青みがかった灰色の髪の少し上には、棚に本が並んでいるのに私は気がついた。見事な装幀である。きっとこれは古典だろう。おそらくパコームは、毎晩眠りに就く前に、「長年の友人モンテーニュ」の数ページを、あるいはラテン語のテクストでホラティウスのオードを読み返したことだろう。〔略〕/彼はこれ以外に、決して自分を振り返ることはなかった。彼は指導者だったのだ。》

 これではまるで名士礼賛ではないか。本人はせいぜい皮肉を言おうとしているのだろうが、肖像画の傍らで模範的市民の人生の意義を伝えるガイドともみまごうのである。なぜなら、そこに挙げられているのはまさに市民的価値に則ったすぐれて節度ある文化的な生き方なのだ。ロカンタンは「彼はこれ以外に、決して自分を振り返ることはなかった」と断ずるのだが、その語「決して」jamais は、ここで精一杯の空振りのように響くのである。

《壁にはまた他の指導者たちの肖像も掛けられていた。指導者しかいないほどだった。肘掛け椅子に座っている緑青のような色のこの大柄な老人、これも一人の指導者だ。彼の白いチョッキは、その銀髪を鮮やかに反復していた。……彼は長いほっそりとした手を、一人の幼い男の子の頭においていた。毛布に包まれた膝の上には、一冊の本が開かれている。しかし彼の視線は遠方をさまよっていた。若い者には見えないすべてのものを見ているのだ。〔略〕人生の黄昏に達した彼は、一人ひとりに惜しみなくその好意を振りまいた。》

 老年は「名誉ある過去」により「すべてのものについて語る権利」を与えられており、経験は「死に対する砦」どころではなく「老人たちの権利」だったのだ、とロカンタンは言う。こうした、いかにも若者らしい早わかりで他人を裁断しながら、彼はなおもこの場を立ち去らず、さらに軍人や経営者そして学者といった一人一人の肖像を〈理解〉しようと努めるのだ。

 レミ・パロタンは名高いパリ医科大学教授であるという。

《この科学の帝王は、私に何か強烈な感情を引きおこした。いま私は彼の前におり、彼は私に微笑みかけている。なんと多くの知性と親切心が、その微笑のなかにこめられていることか! 彼のずんぐりした身体は、ゆったりと革の大きな肘掛け椅子の窪みに落ちついている。この衒いのない学者は、直ちに人を気楽にさせるのだった。その視線に宿る精神的なものがなかったら、ただのお人好しとさえ思われたことだろう。/彼の威光の拠って来るところを見抜くのに、長い時間は必要なかった。彼が人びとに好かれたのは、すべてを理解していたからだ。彼には何でも言うことができた。つまるところ彼はいくらかルナン〔実証主義思想家〕に似ていたが、もっと気品があった。》

 この「大家」はソクラテスのように「魂の助産婦」になろうとして、若者たちを危険思想から引き離し、社会に役立つエリートへと導いたのだという。

《医学を目指す良家の子弟たちを自宅に招いた。〔略〕食事が終わると、みなは喫煙室へと移動する。〈教授〉は、初めてのタバコからまだ日も浅いこれらの学生たちを、一人前のおとな扱いする。つまり彼らに葉巻を勧めるのだった。彼は長椅子に身を休めて、目をなかば閉じ、むさぼるように耳を傾ける大勢の弟子たちに囲まれて、長々と話をする。思い出を呼び起こし、逸話を語り、そこから刺激的で深遠な教訓を引き出してくる。そしてもしこの育ちのよい若者たちのなかに、一人だけいくらか反抗的になりそうな者が混じっていると、パロタンはとりわけその男に関心を持つのだった。彼は相手にしゃべらせ、注意深く耳を傾け、さまざまなアイディアや、熟慮すべき主題を与える。こうなると、その青年は高潔な思想を詰めこまれ、身内の者の示す敵意に激昂し、独りきりですべての者に抵抗して考えるのに疲れ果てて、必然的にある日、自分と一対一で会っていただきたい、と〈教授〉に頼みこむことになる。そして彼は怖ず怖ずと口ごもりながら、自分の心秘かに考えていることや、憤慨や希望を打ち明ける。パロタンは彼を胸に抱き締めて、こう言う、「分かるとも。最初の日から、きみのことは分かっていたんだ」。二人は話し合う。パロタンは、さらに先へ、先へと進んで行き、あまりに遠くまで行くので、若者は容易について行けなくなる。こんな対話が何度かあって、若い反逆者には目に見えて改善が確認される。彼には自分自身の内面がはっきり見え、自分を家族や周囲に結びつけている深い絆を知ることができるようになる。彼はようやく、エリートの素晴らしい役割を理解したのだ。そして最後に、まるで魔法にかかったように、パロタンに一歩一歩ついてきた迷える子羊は、すっかり迷いから醒めて、改悟しながら古巣に戻って行く。》

 いかにもありそうな高名な医学者の言動が、その肖像に対峙した若者の脳裡に、細部にわたって丁寧に想像されていくのである。そのあげく、「多くの魂を治した」メスの矛先は、ロカンタンにも向かって動きだすというのだ。

《レミ・パロタンは愛想よく私に微笑みかけていた。彼はためらっていた。私の立場を理解して、おもむろに方向を逆転させ、私を羊小屋に連れ戻そうとしていた。しかし、私は彼を恐れない。私は子羊ではないのだ。私は皺のない彼の穏やかな美しい額を、小さな腹を、膝に平らにおかれた手を眺めた。私は彼に微笑を返して、そこを離れた。》

 ロカンタンはやや余裕を見せているが、たぶん彼は、これまでにも何度かこうした大先生に出くわしたのだろう。しかし、彼は攻撃の手を緩めない。さらに、パロタン先生の弟で会社社長のジャン・パロタンの肖像と合わせて追及するのだ。

《彼の視線は異常なものだった。まるで抽象的な視線のように、純粋な権利に輝いていた。彼のぎらぎらした目は、顔全体を覆い尽くしていた。この煌々たる輝きの下に、狂信家らしい薄い唇が固く閉ざされているのを私は認めた。「おかしいな。彼はレミ・パロタンに似ているぞ」と私は考えた。私は〈偉大な教授〉の方を振り返った。このように二人が似ているという光に照らして仔細に眺めると、とつぜんレミ・パロタンの穏やかな顔に、何とも言えない干からびて荒涼としたもの、一族の相貌が浮かび上がった。私はふたたびジャン・パロタンに戻った。/この男には、一つの観念のような単純さがあった。彼のなかに残っているのは、もはや骨と死んだ肉と〈純粋権利〉のみだった。これこそ正真正銘の取り憑かれたケースだ、と私は考えた。〈権利〉がいったん人間を捉えると、どんな悪魔祓いもそれを追放することができない。ジャン・パロタンは全生涯を彼の〈権利〉の思考に、ただそれだけに捧げた。》

 ここでロカンタンがやろうとしていることは、まさに〈決めつけ〉である。その容貌や血縁、地位などによる憶測は、あの『カルロス4世の家族』でゴヤがそうしたのだといわれたような風刺の域をこえて、まさにあからさまな〈攻撃〉といっていいだろう。
 ロカンタンは戦いを挑んでいるのである。

《私が呆然として見つめた彼の目は、もう帰れと告げていた。しかし私は立ち去らなかった。》

 かつて、スペインの宮殿でフェリペ二世の肖像画の前に立ってその「権利に輝いている顔」を見つめていたら、やがて輝きは消え、「灰滓のようなもの」だけが残ったのだという。若者はここでも同様に、名士の“化けの皮”を剝ごうとするのである。

《パロタンは見事な抵抗を示した。けれどもとつぜん彼の視線は消え、絵は色褪せた。何が残ったか?見えない目、死んだ蛇のような薄い口、それに頰だ。青ざめて丸くふくらんだ子供のような頰。それが画布の上に広がっている。S.A.B.の社員たちは、社長がこんな頰をしているなどとついぞ思わなかった。彼らはそう長いことパロタンの執務室にいたことがなかったからだ。そこに入って行くと、彼らは壁のように立ちはだかるあの恐ろしい視線に出会うのだった。おそらく、白くぶよぶよした頰は、その背後に隠れていたのだろう。彼の妻は何年後にそれに気づいたであろうか? 二年後か? 五年後か? 想像するに、ある日、夫が彼女の横で眠っていて、月光が彼の鼻先を愛撫していたときか、あるいは暑い時刻に彼が消化に苦しんで、目を半ば閉じ、顎に少しばかり太陽を浴びながら、肘掛け椅子にひっくり返っているときに、彼女は思いきって彼の顔を直視したのだろう。すると、むくんで涎を垂らしたいくぶん猥褻な肉体のすべてが、無防備にあらわれたのだ。おそらくこの日から、パロタン夫人は夫を尻に敷いたのである。》

 これは、あまりに乱暴で悪意に満ちた攻撃である。しかも、その相手は、ルノワールが「まるでバーテンダーと女給のようだ」と叫び、ゴーティエが「富籤に当たったばかりの角のパン屋と彼の妻」と呼んだ、『カルロス4世の家族』に描かれてその数年後には滅んだという王侯貴族などは異なる、新興ブルジョワ、市民階級なのだ。なぜなのか。
 若い知識人ロカンタンはいったい人間を、社会を、そして自分をどう見ようとしているのか。

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