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Blog『映画が、挑発するッ』No.2

【「世界のミフネ」主演の傑作時代劇アクション『椿三十郎』の魔訶不思議な作劇術】

誰にも解かり易く、しかも稀有な「語り口」

 黒澤明監督の作品で一番繰り返し、繰り返し観ているのは現代劇では『生きる』と『天国と地獄』。時代劇では『椿三十郎』。
映画監督としての自分の仕事(主に脚本執筆、演出など)の参考にすることもあれば、講師を務めている「日本映画大学」で受け持つ「日本映画史Ⅱ/映画ヒーロー論」「演出論」「テーマ研究/シャレード概論」などで学生に観せることもある。亦、年に4回ほどオファーされる「演技ワークショップ」でも20年近く繰り返しテキストとして使わして貰ってもいる。
 繰り返し観たり、観て貰ったりする理由は、ドラマツルギー、テーマ、シャレード、サブテキスト、演技、コンテ、対立、キャラクター、音楽など映画を作る上で必要な全ての「血と骨」が解かり易く提示されているからに他ならない。

その『椿三十郎』(’62東宝 原作・山本周五郎 脚本・菊島隆三/小国英雄/黒澤明)が、実は摩訶不思議な作劇術=「語り口」を持った稀有な作品だと言ったら驚かれるだろうか❓

悪役不在❓人を斬るのは三十郎だけ⁉

 前作『用心棒』(’61東宝/黒澤プロ 脚本・菊島隆三/黒澤明)で「三十郎」が相手にした敵(悪役)は宿場町に巣食う博奕打ち(ヤクザ)たちで、彼らの犯罪行為は明白。喧嘩や殺しも頻繁に起きる。然も、舞台となる馬籠宿には勢力を争う二つの博奕打ちが存在しているのだからその犯罪性、暴力性は凄まじい(メタファーとしての「犬が咥えて来る斬られた人の手首」は鮮烈❣️)。
『椿三十郎』で「三十郎」が敵とする悪役は、地方の或る藩で汚職を働いた大目付の菊井(清水将夫)や次席家老(志村喬)、用人(藤原鎌足)などの重臣たち、或いは大目付の懐刀である室戸半兵衛(仲代達矢)だが、劇中、彼らが犯罪を行なう描写は実は一度もないのだ⁇ 人も斬らない。意外なことに人を斬り殺すのは「三十郎」だけなのだ⁉ 然も20人近くも斬り捨てる。
 然し、暴力性、殺伐感は『用心棒』の方がある。これは非常に興味深い。

全く「不思議な映画」


そう考えて行くと『椿三十郎』は全く「不思議な映画」なのだ。
第一に「三十郎」は、大目付の菊井や室戸半兵衛など敵役の犯罪を自分の目で一度も見ることなく、偶々、盗み聴きした加山雄三や田中邦衛たち「九人の若侍」の話や状況証拠だけで大目付たちこそが悪者だと推理、断定して行くのだ。否、「三十郎」だけではない、我々、観客もだ。それどころか、観客は「神の眼」で大目付の菊井を観ることは出来るが、「三十郎」は終に菊井には会わず仕舞いとなるのだから驚きだ。然も、観客がそのことを不自然に感じることもまず無いはずだ。
いずれにしろ、或る意味、悪役不在とも言える作品なのだ。

それにはまア、「九人の若侍」や「城代の奥方」たちが「余りに善良」に描かれているからと云うこともあるのだが。兎に角、若大将、青大将のキャラ其の儘の「九人の若侍」の「愛すべき無能振り」を抛っておけず三十郎は一緒に動き出し、人殺しまでやってしまう、と云う訳なのだ。

では『椿三十郎』はどう云うドラマツルギーの映画なのか❓



その伝で云うと、三船敏郎と同時代のトップスター初世・中村錦之助主演の『沓掛時次郎 遊俠一匹』などの名匠・加藤泰監督の『椿三十郎』評が重要なヒントになる。

「〜。多くの時代劇が事件を設定、その葛藤だけで組み立てられているのに反してあくまで人物同士の葛藤、絡みあいでドラマが組み立てられている。〜」
ここで加藤泰監督云う処の「事件」とは、時代劇にありがちな「贋金作り」や「将軍家跡継ぎ」を巡る殺人事件や殺人未遂、誘拐事件などを指す。そう云う「事件」が大江戸八百八町で起こり、その謎に挑む我らがヒーロー「桜吹雪の金さん」や「旗本退屈男」、或いは「水戸黄門」❣️  と云う「事件解決型」のストーリー展開=ドラマ展開を『椿三十郎』は取っていないッ、と云うことだ。
では、どの様なドラマ展開を持っているのだろうか。
次の章で「『ドラマの本質』の定義」に則り明らかにして行きたい。

「『ドラマの本質』の定義」から視ると、主人公は誰で「敵役」は誰なのか❓

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