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エッセイ的な記事

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我が理想のシャングリラは美しいか

街の写真を撮るのが好きである。 カメラ好きの人には怒られるかも知れないが、 当方、一応一眼を所持しているものの、機材への拘りは殆ど無い。 只、スマホでは味気無いので、気分を乗せるために一眼を抱えているだけのことである。 街を撮るのは、近くて安く済むという経済的理由もあるのだが、 一番はやはり街という場所が好きなのだと思う。 特に、街の陰に隠れがちな汚い部分が好きである。 それは汚れた路地裏であったり それは乱雑に入り組んだ配線であったり それは場違いに置かれた自販機であっ

眠る、落ちる、往く。

眠れない夜がある。 特に理由があるわけでは無いが、 どうにも体勢が定まらない。 詮無きことで思考が止まらない。 思考と言っても、同じところをくるくる回り続けているような、振り子の如く行ったり来たりを繰り返すような、徒に実のない思考である。 こんな時には、いつもと反対を向いて寝ることにしている。 要は北に枕を向けてみる。 言わずと知れた、釈迦入滅の方角である。 仏教文化が根強く残る日本においては、 北の枕は死を忌む不吉の方角とされ、一種の禁忌となっている。 仏となった遺体は煩

あの、どうでもいい日々を返してくれよ

表題の通り。 これまで、できるだけどうでもいいことを書こうという精神でnote書いてきた。 なぜなら私はどうでもいいことをどうにかなりそうなくらい狂愛しているから。 しかし、最近どうもどうでもいいことに心が動かないのである。 これはいかんということで身辺整理を行う。 そう、前はもっと、どうでもいいことに心が動いたのだ。 雲の形とか、道端の猫とか、全く興味のない分野の評論とか。 どうでもいいことに対してどうでもいい解釈を与えるのを楽しんでいた。 現在の仕事も、元々はどうでも

混ざる

理解するとは何か。それは知識が自分に混ざることである。知識を入れて、自分の中の何かと混ざった時に、その知識は本当の意味で自分のものとなる気がする。 自分のもののになる度合いとしては、自分の核に近い部分と結合したとき、つまり自分の感情が知識と混ざったときにその理解は最大となる。 一夜漬けで覚えた英単語は多分何も覚えていない。 しかし、外人に急にキレられて英語で罵倒された時の言葉なんてのは忘れられないだろう。それはその時の言葉が、驚きや恐怖、戸惑いといった感情という核の最深部

春を売る女

「春を売る女」 この言葉から何が想起されるだろうか。 子供の絵本に出てくる妖精さんかしら。 或いは季節を司る優しい魔女さんかしら。 このような感じで私の頭では、 とてもメルヘンな世界が想起された。 果たしてその実態は。 春を売る女とは売春をする女の意。 つまり売春婦のことである。 ああ、なるほど。 言われてみれば読んだままだ。 なぜ気づかなかったのだろうか。 そもそもだ。 なぜ性的な事象の表現に春という言葉が使われるのだろうか。 するとびっくり、春という

日本殺人巡礼という旅

日本において、年間およそ千件の殺人事件が検挙されている。 殺人者とは異常な存在である。 彼らは我々常人の理解の範疇を超えた異常性を抱えていて、 我々には到底理解できない行動原理に基づいて人を殺す。 兎に角、我々常人とは別種族に属する人間である。 と、思いたい。 。。。 八木澤高明著「日本殺人巡礼」を読んだ。 本書は日本で起きた10の殺人事件に関する現地取材をまとめたルポタージュである。 もともと著者の八木澤氏は週刊誌のカメラマン出身で、その後フリーのライターとして

スマートフォンを葬る

時々、およそ月一程度の頻度でスマートフォンを捨てたくなる。 月に一度、月が満ちるように 月に一度、スマートフォンを捨てたいという衝動が押し寄せる。 今回はこれまでに考えたスマートフォンの捨て方を列挙いたします。 可及的派手に、残酷に、後腐れの無いように、跡形も残さずにスマートフォンを葬りたくて、一生懸命考えて、しかし全く実行に移されなかった不遇のアイデア達を皆様に託します。 皆様がスマートフォンを葬る際の参考になれば幸いです。 1. 川に投げる 橋の中心まで行って、投げ

どうでもいいとか、面白いとか

どうでもいい、面白いと感じることについて。 私はどうやら人よりも色々なことがなんでもいいらしい。 犬が好きだし、猫も好き。 きのこの山が好きだし、たけのこの里が好き。 晴れた日は気持ちがいいし、雨の日は気持ちが落ち着くし、曇りの日は涼しくて過ごしやすいし、雪の日は気分が高揚するし、霧の日の視界の狭い感じも上がる。 春が好きで、夏が好きで、秋が好きで、冬が好き。 日曜日が好きで、月曜日が好きで、火曜日が好きで、水曜日が好きで、木曜日が好きで、金曜日が好きで、土曜日が好き。 食

水を飲む

その日はどうも疲れ切っていた。  理不尽に怒られた。  水の量を間違えて不味いご飯が炊けた。  大皿を落として割った。  作った麻婆豆腐は洗剤の味がした。 こんな日は早く寝るに限る。 いつも通り、寝る前にコップ一杯の水を飲もうとした。 その瞬間、ふと手が止まり、驚愕した。 コップに並々注がれていたのは水ではなく洗剤だったのである。 そう、私は全く無意識でコップに洗剤を注いでいた。 もし、もしもである。 気づかずに飲んでしまっていたとしたら。 私は死んで

蝉の断末魔

九月上旬の午後七時を過ぎた頃だった。 移り行く街の景色は容赦なく、今年の夏も残り僅かと喚く。 秋の虫が鳴いている。 どこからともなく金木犀が薫っている。 もうすぐ夏が終わってしまうという特に謂れのない焦りが胸中を支配する。 徒に流れる時間の速さに焦燥し、 自身の進歩の無さに憔悴する。 でも、まだ夏は終わっていない。 未だ厳しい残暑を盾に、私は醜く夏に執着する。 コンビニで弁当を買って、 大学に戻るところだった。 信号が青に変わり、横断歩道を渡る。 横断歩道の半

漢字に内包される情景の奥行というか、ダイナミクスというか。

書き言葉について。 文字を書くとき、言葉は出来る限り漢字で書くようにしている。 日常生活に於いては常用漢字以外はひらがな表記(ここはひらがなの方が意味が通じやすいと判断したためひらがなのまま)が推奨されている。 特に新聞においては新聞常用漢字表によって使用できる漢字が決められており、其処に含まれない漢字はルビを振る、またはひらがなに直すという処置が必要となる。しかし括弧書きで読み仮名を振るのは文字数が嵩む為、掲載面積が限られた新聞という媒体においては不利に働くことが多いた

漫画から学ぶということについて

漫画に学ぶ○○みたいな記事をときどき見かける。 特に成功哲学とか人生論を学ぶものについて。 所詮は漫画と馬鹿にしていませんか? 実は漫画には我々が成功するために重要なヒントが満載なのです... などと銘打ってワンピースやら、スラムダンクやら有名漫画のフレーズを抜粋して、どこかの啓蒙書に書かれていたことと照らし合わせる。 。。。 これらの記事からはどうも違和感を感じるのです。 今回はこの違和感の原因を考察してみたいと思います。 これらの記事中で、彼らの言い分はこう聞

あのおっぱいと太ももは時代の流れが産み出した必然

「ライザのアトリエ」の主人公、ライザリン・シュタウトのキャラデザは岸田メル先生曰く、時勢を鑑みるに必然だ、という話。 コーエーテクモゲームスから出ているロングセラーRPG アトリエシリーズ。初めてプレイしたのが黄昏シリーズからアーシャのアトリエだった。目を引くイラストと500円という安さに惹かれてやってみたところ、大いに嵌ってしまった。前作のアーランドシリーズと後作の不思議シリーズに押されて評価が低めではあるが私が良いと思ったので良い。その世界観に惹かれて後ろはアーランドシ

擬人化の相性

擬人化について。 遅ればせながらウマ娘プリティダービーを視聴した。 ネタバレは極力避けるが2期のラストはもうボロ泣きだった。 ウマ娘とはその名の通り、競走馬を萌え擬人化したマルチメディア作品である。容姿、体格だけではなく性格に至るまで、実在の競走馬の特徴が忠実に反映されている(らしい)。史実に基づくマニアックな小ネタがあったりで従来のゲームファンだけのみならず、古参の競馬ファンも楽しいギミックがいろいろと仕組まれている(らしい)。 ストーリーとしてはギスギスする展開があ