蝉の断末魔
九月上旬の午後七時を過ぎた頃だった。
移り行く街の景色は容赦なく、今年の夏も残り僅かと喚く。
秋の虫が鳴いている。
どこからともなく金木犀が薫っている。
もうすぐ夏が終わってしまうという特に謂れのない焦りが胸中を支配する。
徒に流れる時間の速さに焦燥し、
自身の進歩の無さに憔悴する。
でも、まだ夏は終わっていない。
未だ厳しい残暑を盾に、私は醜く夏に執着する。
コンビニで弁当を買って、
大学に戻るところだった。
信号が青に変わり、横断歩道を渡る。
横断歩道の半ばで脇からジリジリと音が聞こえた。
音のする方向に目をやると、赤信号を待つ軽自動車の前輪の寸前でひっくり返った死にかけの蝉がのたうち回っていた。
横断歩道の中腹で一瞬、逡巡する。
助けてやろうかと。
しかし、横断中の歩行者が信号待ちの車の前に歩いていくなんて不審であるし、第一危険である。
私は蝉を無視して足早に渡りきった。
青信号が点滅していた。
せめて、その蝉の最期を見届けることにした。
歩行者信号が赤に変わった。
自動車信号が青に変わるのを合図に、
軽自動車はエンジンを吹かして前進した。
蝉の断末魔は
聞こえなかった。
声も上げずに死んだのか、或いは車の機動音に搔き消されたのか。
後には、軽自動車と後続の車に轢かれて潰れた蝉の死体だけが残った。
この瞬間。
蝉の命と一緒に、私の夏への執着は儚く消え去った。
私の夏は、あの蝉と一緒に死んだのだ。
季節はとっくに秋だった。
ただ時間は過ぎてゆく。
それは私の足掻きとは全く関係無く。
成長の無い自分でも、甘んじて受け入れてかなくちゃ。
どうせ死ぬまで付き合っていかなくちゃいけないんだから。
それから奴が更に数回轢かれるのを見た。
もういいか。
奴の死体に背を向けて、
私は歩き出した。
終わり。