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#14 承認欲求ではない、自分の拠り所が欲しい! とある遅読家の読書感想文『年収90万円でハッピーライフ』大原扁理著⑨「第四章 毎日のハッピー思考術」より(後編)

今回のこちらの記事では、「承認欲求ではない、自分の本当の拠り所はこうしたら得られる!(…と思います。)」といった内容をお伝え出来るかと思います。

ご興味の湧いた方、ご一読頂ければ幸いです。


今回は『年収90万円でハッピーライフ』大原扁理著「第四章 毎日のハッピー思考術」の後編部分から、特に胸に響いた箇所を引用させて頂き、その感想を綴らせて下さい。



本書からの引用は今回が最後です。

そんなことも相まってか、いつも以上に熱っぽくなり、引用部分いつも以上に長めなってしまいました。

ご容赦ください…。

退屈は人の心の中にしかありません。退屈する人は、どこで何をしようが、いくらお金を持っていようが退屈するんです。
退屈に耐え切れずに平和を手放してしまわないために。やるべきことを誰からも強制されない時代や国に生まれたわたしたちは、ふたつの〝そうぞうりょく〟を駆使して、自分のやるべきことをつくり出すしかないと思うんです。p215

まずは、イマジネーションのほうの想像力について。
これは、隣の人も自分と同じ人間であると想像できる能力のこと。自分と同じように家族がいて、友人がいて、食って寝て、今まで生きてきた時間があって、信じているものがあって、好きな人も嫌いな人もいて、死んだら周りの人が悲しんで……そこには年齢とか性別、出身国などは関係ないとういこと。
人間って、個人的な単位では想像も共感もできるけど、全体的な単位ではよくわかんないように、頭が出来ているんじゃないかと思う。全体主義屋さんはそういうとこにつけこむんですよね。これは怖いことです。
個人だって間違うことあるけど、自分の意志でやったなら責任もとりようがあるじゃん。でも全体の意思に従って後から間違いに気づいたら、恐ろしいことになっちゃう。だから流されそうになったら、まず立ち止まる。そしてひとりの人間(個人)というところに立ち返ってみる。想像力という武器で対抗する。私が今考えつく最善の手段です。この想像力を普段から養っておかないと、あれよあれよと全体主義屋さんに巻き込まれてしまう。
・・・
だからまずは想像力。これからの時代、どんな資格よりもゲットしといて損はないものです。p215

では、それはどうしたら身につくか。
・・・いちばん手っ取り早いのは本を読むこと。自分が体験しえなかった人生を疑似体験するのが目的なので、ビジネス書とかじゃなくて小説が良いです。p216

もうひとつの創造力、クリエイティヴィティについて。
・・・
やるべきことを与えられるのは断然ラクなんですよね。自分で考えなくていいし。でもこれからの時代は、自分で創り出すことを放棄したらあかんと思う。放棄すべきは暴力と怠慢です。自分の退屈の面倒くらい自分が責任もって見ないと。
・・・
だいたい、ヒマだって文句たれてるのって、大人しかいないんですよね。ヒマで死にそうになってる5歳児とか、見たことない。p217

では、創造力を養うためには、どうすればいいか。
お金のかからない娯楽を見つけることから始めるのがいいと思います。お金使ってもいいんだけど、そればっかやってたら、頭使わなくなりますからね。これは自分で何かを作り出す練習になります。p218

こちらの引用部分、私は本書の肝のように感じております。

今現在で言えば…そうですね、やはりプー◯ンさんに一番読んで頂きたいと思う箇所でもあります。(どういう事情か、著者の言うような“そうぞう”できかねますが…あからさまな暴力に他ならないと思いますので…。こんなこと綴るのは悲しいですね。)

聖書で言うところ(旧約?新訳?どちらでもない?間違ってたらすいません…。)の“隣人愛”とはこのことなのではないかと思いました。

人間、生まれてくる時代、環境は選べない。どのような人間にもなりえた。だからどのような人間も全てを否定することはできない、してはいけない。

これは私の信条の一つです。様々なご意見あるかもしれない、最愛のヒトが傷付けられたらこんなこと言ってられないとは思うのですが…。

同時に…、

正義の反対は悪ではない。他の正義である。

という言葉(どなたの言葉か忘れましたが…。)も思い出しました。

どのような高尚な教養よりも、まず身に付けるべきは、著者の言う、“そうぞうりょく”。とは言い過ぎでしょうか?

こちらで挙げさせて頂いた引用からは、特に、読む度に色々な思い、考えが頭を巡ってしまいます。


最後にもうひとつだけ、退屈な時代を平和に生き抜くために、大事なポイントがあります。全体主義屋さんにつけこまれてしまう根本的な原因は、人間が何かに頼らなきゃいられないという弱さを持っていることです。
釈迦は、「人間は、自分以外のものを本当の拠り所としては生きていけないのだ」と言ったそうです。それは親兄弟であり、恋人であり、子どもであり、街であり国であり民族であり、もっと言えば釈迦本人でさえ拠り所にはならない。仏教の開祖がそれを言っちゃうって、けっこう衝撃ですよね。でもわたしはこの言葉に、中途半端に甘やかさない、釈迦の本当の優しさを感じます。p221

(これまた言い過ぎかもしれませんが…、)人が他人を崇めることこそ諸悪の根源、という自分が抱いていた信条を補完してくれた!と嬉しくなる箇所でした。

私の身近には「フツーさ、」とか「常識的にさ、」と言うことが口癖の、一般論を押し付けてこられる方、同調圧力を醸し出す全体主義者のような方が、幾人かおります。

その方々に屈してしまいそうになる時、武器になるのがこちらの引用のように思います。

かかってこい!

…失敬、これまた色々思うところありまして、

これでは同じ穴のムジナ、負の連鎖でしょうか…。


やがて他人や世間の承認なんて要らんという境地に達しますから。純粋に自分が楽しければ、人からなんて言われようがどうでも良くなってくるもんです。ここまでくればしめたもの。100人の他人からの「いいね!」より、自分ひとりの「いいね!」が勝るようになります。p222

こちらでは、マズローの欲求段階説を思い出しました。

この段階説の最上位、自己実現の段階の境地が、自分ひとりの「いいね!」が勝るときなのかなぁと思いました。

かく言う私ですか?

承認欲求の塊です。

他人の「スキ」に囚われており、常にスマホ気になって仕方ありません。

スキやフォローして頂けるとテンション上がります。

…というわけで、もしよろしければ。

…すみません、度々野暮ったくて。


将来を考えたときに、個人として出来ることって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないんじゃないかなあ。・・・地味で、目立たなくて、誰にも褒められない、ごく普通のことを、虚心坦懐にこなしていくこと。年収何億とかいう人が世間で褒めそやされていても、比べないこと。それでも必ずズレてしまうことはあるので、自分に対するたゆまぬ観察と微調整を繰り返すこと。それで1日を無事に終えることが出来たら、「今日も平穏無事に過ごせてありがとうございました」とまた感謝して眠ること。
・・・
将来のこと本気で考えていると、今この瞬間を大切に生きることにどうしても戻ってきちゃう。毎日ただきちんと生きていると、今日この日に、今までのことも将来のことも全部ちゃんと含まれている感じがするんです。今日のことも大切に出来てないのに将来を語るのって順番が違うような気がする。p223

あんまり毎日が辛いと、世界中で自分だけが特別みたいに思ってしまうこと、ありますよね。p223

何より、自分を嫌いにならずにすむのがありがたい。あんなに将来のほうを向いて頑張って働いても何も残らなかったのに、自分も周りの人も大切にして、目の前の日々を倦(う)まず弛(たゆ)まずコツコツ生きてたら、将来の不安、どっかいっちゃった。今に将来が含まれてるって、こんな感じだと思う。p225

たとえば電車で目の前に杖をついた老人とか妊婦さんがいても席を譲らないのに、将来自分が困ったときのために必死に働くのって、関係ないようで地続きな気がする。p226

一般的な意味での将来のためにしていることは、明日も生きちゃったときのために、貯金は使い切らないようにしているとか、体にいいものを食べるとか、それぐらいかなあ。p226

今のままで良いんだ!とどれだけ救われたことか…。

足るを知る。とはこのことだ!とも思いました。

自分だけが特別不幸…とお嘆きのそこのあなた!ここだけでもお読みになって下さい!

…と、特に、色々な方におすすめしたい箇所です。

今だけにフォーカスする。すると自ずと過去も未来も大事にできる…こんな有益で即効性のある処方あったんですね!(舐めすぎなところありますかね…。)

某塾講師の「今でしょ!」がどうしてウケたのか、その理由がここにある気がしました。そしてその言葉の深さに改めて感服。「深イイ~。」


死んだときはひとりだったかもしんないけど、孤独かどうかはまた別の話です。好きなように生きて、勝手に死ねたら、もうそれは大往生。むしろ喜んでほしい。p228

なんつーか、わたしは自分みたいな人間が生きているだけでちょっと笑えるっていうか、隠居しちゃっても笑えるし、本出ちゃっても笑えるし、このまま死んじゃってもなんか面白い、みたいなとこがあるんです。あの世で自分に「プッ」ってなってる気がする。かわいそうがられるより、最後まで笑ってもらえたほうが嬉しいなぁ。どうせ死ぬならおかしく死にたい。p228

「死ぬ」と「怖い」はセットになってるけど、それ本当?p229

「死ぬ」というのは、本来ただそれだけのことで、誰かが怖そうに味付けした情報は、わたしにはあまり信じられません。p230

死ぬのが怖くなくなったら、人間の不安の大半は消えてなくなっちゃうような気がする。p230

わかんないことならわざわざネガティブにとらないほうが、わたしはハッピーなんです。p230

著者の死生観、私は宇宙を感じました。

そして、人間はだれしも、所詮、宇宙をただよう塵と同じようなものなのかなあ、とも想像させられました。

私にとって「死ぬこと」は大イベントで恐怖以外の何物でも無かったのですが、たしかに分からないことですよね。ネガティブにならないといけない理由、そこには無いですよね。

諸悪の根源は死への恐怖に由来する。

笑えて、(良い意味で)笑われて死ねれば大往生。

新しい信条、確立されました。いかがでしょうか?…臭いですかね?


各国の方々とお話する機会があると、・・・同じことで悩んでいるんだなあと、感じます。多くの人が、もう、金銭的・経済的な文脈のなかだけで生きていくことには、疲労と限界を感じている。それ以外の方法を探している。p236

お金の有無で幸福度が決まる、幸福度を測る尺度がお金だけ。

立ち止まって考えてみると、いかに不健全か、疲れますよね。

でもそのことに世界中の人が気付き始めてる、というのは、格差社会と言われてますが、格差の平均化の表れなのではとも思いました。

言うまでもないかもしれませんが、真の意味での平等な社会って心の在り方にかかっているのかなあと、実感させられた気もします。


これで本書からの、私なりの引用は終了しました。

毎度述べますが、もうアンダーラインだらけ。各ページはクタクタです。

結局、あまり好まないことのですが、著者を賞賛するばかりに終わりました。

あまりにバランス悪いかとも思うので、正直、読みながら粗探しまくってました。

ですが癒される、救われるばかり。

遅読家で集中力に自信の無い私でも、時間忘れ、読み耽ることが出来ました。

私にとっての人生の指南書となりました。

大原扁理さん、ありがとうございます。

…最後に気色悪く思われた方、すみません。でもお礼をせずにはいられないのです。


改めて『年収90万円でハッピーライフ』大原扁理著、大変おすすめですので、ご興味の湧いた方、ぜひ御購入の上、御一読下さい!

ここまでお読み頂いた方、お疲れ様です。貴重なお時間割いて頂き、ありがとうございます。

次回は私なりの本書の総括などをさせて下さい。

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