私の推し面 ①【佐野弘宜 先生】
今回から新企画がスタート!!
宝生流能楽師が憧れているあの面、
思い入れのあるあの面…
そんな「推し面(めん)」を月に1回ご紹介していきます。
ぜひ読者の皆様も「推し面」探しを。
このインタビュー記事を通して、少しでも能を身近に感じていただけましたら幸いです。
第1回目は2月の五雲能で「東北」を勤める佐野弘宜先生。
――弘宜先生にとっての「推し面」を教えてください。
私は思い入れのある面として「小獅子(こじし)」を選ばせていただきました。
若手能楽師にとっての登竜門の一つに「石橋」という獅子の登場する曲があるのですが、オリンピック・パラリンピック開催予定だった2020年8月に、私も「石橋」を披くタイミングがありまして、そのときに使わせていただいた面です。
普段の「石橋」ですと獅子を舞うのは1人ですが、私のときは「連獅子」という小書(特殊演出)で上演され、父(佐野由於)と二人で獅子を勤めました。「連獅子」は宝生流にとって特別なものとされているので、とても光栄なことでしたね。
しかしながら、その大舞台もコロナウイルス蔓延に強く影響を受けました。当初はオリンピック・パラリンピックに合わせて企画された特別公演でしたが、結局、オリンピック・パラリンピックは延期となり、世の中は自粛モード、当初想定されていた盛り上がりとは程遠い雰囲気でした。
私の家はもともと地方の出身で、ずっと支えてくださっている方の多くが地方にお住まいなのですが、当時は都道府県をまたいだ移動の制限があり東京まで観に来られない状況で、なかなかモチベーションが上がらないまま、ずっと稽古していました。
しかし、石橋の獅子は平和な世を寿ぐもの、たとえ誰も観ていなくても、その祈りをこめて精一杯舞台を勤めれば良いと、気持ちを切り替えました。
そんな気持ちで舞台を勤めることは、今までもこの先も無いことですから(そう願いたい)、思い入れのある面ということで、「小獅子」を選びました。
「連獅子」を上演するときに必ず「小獅子」を使うわけではないんです。これは基本的にはお家元がなさるときなど本当に特別なときにしか使わない面です。通常は、「獅子口」という口がガッと開いた大ぶりな面を、親獅子・小獅子、共に使用します。
宝生流の蔵には、宝生流としての獅子の原型とされている「獅子口」があります。
能面師・後藤祐自先生によると、この「獅子口」は金泥をつける工程が特殊で、また「小獅子」も同じ工程で作られていることから、間違いなく同じ作者であろうとのこと。
これはあくまで後藤先生の推測ですが、当時の家元が御子息と「連獅子」をやるためにセットで作られたのではないか、とおっしゃっていました。
そう考えられる理由として、実はこの「小獅子」という面は写し(※複製したもの)がほぼ存在しないんだそうです。家元だけが使うなら、いくつもの写しは必要ないんですよね。これは家元が基本的に使うものであると僕らも聞いています。国の文化財になっており、とても貴重なもの、それを使わせていただいたことは、本当にありがたいことだったと思います。
舞台で使用する面はいつもお家元が決めてくださるんですが、これが出てきたときはびっくりしました(笑)。
――面の特徴を教えてください。
「小獅子」は本来の「獅子口」よりも、きゅっと締まりがあって、力がありますよね。女性の面に比べたら目の穴が大きいので見やすいです。
そして案外、この鼻の穴が大事なんですよ。「連獅子」の場合、一畳台が舞台に出て、その上に飛び乗ったり、飛び降りたりしますが、そのときに目の穴からだけ見ると足元って全く見えないんです。足元が見えないというのは最高に怖いので、鼻の穴から台の位置を確認します。だからこの面のように、鼻の穴が大きいというのは助かりますね。
――着け心地はいかがですか。
獅子って特殊で、首をいっぱい振るので、紐をすごくきつく縛るんですよ。普段、紐は一本なのですが、そのときは二本で締めます。強く締めてしまうので、着け心地がどうかという次元の話ではなくなってしまいますね。
――こちらの面は本番のときだけ使用されましたか。
普通、面は本番だけ使用しますが、「石橋」などの特別な曲のときは申合せというリハーサルでも本番同様のものを着けさせていただきます。
舞台に出る前に面に一礼してかけるときは、ぐっと力を受ける感じがしますね。
――次に五雲能の「東北」で使用する面のご紹介をお願いします。
これは「節木増(ふしきぞう)」というものですね。上品でしょ。「増」というのは宝生流では基本的に女性のシテで使います。増阿弥という作者からきていまして、この眉間のところにある節の跡が節木増と呼ばれる特徴の一つとされており、宝生流にしかない面です。
もともとは面の表面にヤニが染み出てきてしまったというアクシデントによるものですが、これがあることによって表情が締まるということで、その後はこの面を写すときに節もつけるようになったと聞いています。
宝生能楽堂で所蔵している「節木増」は何面かあるので、本番で使う面はこれとはまた別のものになるかと思います。
――女性の面を見分けるポイントを教えてください。
見分けるポイントのひとつとして、毛描きの違いがあります。毛描きがすっと落ちているものもあれば、少し乱れているものもあります。また、造形もよく見ると違いがあります。年配の女性の役に使用する「曲見」は、顔が窪み顎がしゃくれ陰影ができていて、また若い女性の役に使用する「小面」は、全体的にふっくらとしています。
――能楽師になることに悩んだ時期はありましたか。
小さいころは自分の意志ではなく舞台に出ていたため、本質を知らずにやっている部分がありました。このまま舞台の本質を知らないでやめるのはもったいない気がして、少し舞台を外から見てみて、能の魅力を勉強しました。そのうえで、これはやめてはもったいないなと思ったので、この世界に戻ってきました。
――お父様の由於先生とのエピソードを教えてください。
「鞍馬天狗」の花見児が初舞台だったのですが、父がシテで、私はとんでもなく間違えました(笑)。行ってターンして座る、そして帰るだけの役なんですが、何人も子方が並んでいる中、私だけ逆にターンしたんですよ。それはよく覚えていますね。舞台上で父がどのような顔をして見ていたかは分かりませんが。
自分がシテで子供がいたらどんな気持ちだろうかと思います。
――学生のときはどんなことに興味がありましたか。
学生時代にはロックバンド活動や、ブラスバンド、クラシックなど演奏することに熱中していました。教えることが好きだったので、音楽の先生になりたいと考えた時期もありましたね。能楽師という職業も子どもに教える機会はあるので、ある意味、半分夢が叶ったような気がしています。
――今回の五雲能では「東北」を勤められますが、どのような曲ですか。
お坊さんが京都を目指して旅をしている途中で、東北院という建物に立ち寄ります。そこには梅が咲いていて、門前の人から、この梅は「和泉式部」という名前であることを聞きます。梅を眺めていると、謎の女性が現れて、和泉式部が植えたのがこの梅であり、その名前は正しくは「軒端の梅」であると語ります。
女性は、「実は私はその梅の主なんです。」と言って消えて行きます。そうすると先ほどの門前の者が出てきて、昔、和泉式部にはこんなことがあったと、いろいろな故事を話してくれます。そして、今のが和泉式部の亡霊ではないかと確信した僧は、何か奇跡が起こって会えるかもしれないと思って、お経を唱えていたら和泉式部の霊が出てきます。
そこで東北院の綺麗な景色の中で和泉式部が舞を舞うというお話なんです。
――役をいただいてどのような印象をお持ちになりましたか。
女性が主役の王道な曲ではありますが、他とはまた少し違うなと思う部分があって。亡霊が主役の能の定番の流れとしては、仮の姿で旅のお坊さんの前に現れて、昔話を語ります。その話の張本人が自分であることを告げ立ち去り、その夜生前の姿で現れます。そこで生前の未練や、死後の苦しみを語り、回向を頼んで消えていきます。つまり、救いを求めて現世にやってくるわけです。
しかしながらこの「東北」の場合は、現世に未練がある訳ではなく、出てきたときにはもう成仏しているんですよね。
和泉式部には全く迷いはないんですよ。和歌の力によって、自分は菩薩になれたということを話しているんです。菩薩になったんだから、現世に未練はないんです。そう考えると、脇能で神様が出てくる曲と近いのかなと私は思っているんですが。ありがたいものの謂れを語って、最後は神様の姿で出てくる。そういう部分も含んだような。
和泉式部は歌人であり、すごくモテた人なんでしょ?(笑) この曲が和泉式部をどのようにとらえているかと言うと、恋多き女性というよりは、神々しい存在という感じがするなと思います。
――2月の月浪能と五雲能の曲について教えてください。
月浪能は演者もかなりキャリアの長い先生方がされていて、ご覧になる方も多くの能を観ている方が非常に多いと思います。能はある程度お約束みたいなものがあったり、大前提のことがあって、それを分かった上でさらに面白いものをご覧になるには月浪能はぴったりかなと思いますね。
初めて能を観てみようかなという方には、五雲能をおすすめしたいです。もちろんその中でも分からないことはあるかと思いますが、宝生会では解説カードなどをご用意しておりますので、初めての方にもぜひ来ていただけたらと思います。
月浪能の「鉢木」は、零落した武士・佐野常世が宿を貸した旅僧が、実は時の権力者・北条時頼で、後に鎌倉へ招集をかけた際、みそぼらしい姿にも関わらず駆けつけた常世に心を打たれ、新たな領土を与えるお話。なかなか能を観たことない方には、こういう曲もあるんだなっていう感じだと思いますね。お芝居っぽい曲で、シテは面をかけずに演じます。
「海人」は、いろんな要素が詰まった演目です。我が子のために命をかけて海に飛び込んだ場面が見せ場ですが、その母は最後、我が子の手向けた法華経によって成仏し、龍女となって現れます。霊的な存在が主役の夢幻能でありながら、前半は母が我が子を探し狂乱する狂女物のような雰囲気もあります。
五雲能は、「金札」、「鞍馬天狗」共に動きが多い演目ですので、ビギナーも退屈しないのではないかと思います。
「鞍馬天狗」は、牛若丸(後の源義経)が鞍馬山の天狗から修行を受ける話ですが、前半の花見の場面では、牛若丸が数名の平家の子供たちに紛れて登場します。初舞台の子方( 子役)もおりますので、私のような子がいるかもしれませんが、是非温かい目でご覧いただけたらと思います(笑)。
五雲能はいろんなジャンルの演目が観られるので、楽しめますね。その中で「東北」はゆったりした曲なので少し眠くなるかもしれないです(笑)。でも、そこでうつらうつらすることは、悪いことではないのかな、と思います。お坊さんがお経を唱えて眠ってしまった、夢の世界を見ているのだから。
――最後に読者の皆様に向けてメッセージをお願いします。
能をご覧になったことがない方は、能に対して何かしらのイメージを持っていらっしゃるかと思うんですが、実際にご覧になってみた方がおっしゃるには、こんなにいろいろなジャンルがあるんだと。もちろん曲趣の得意不得意はあるかと思いますが、この五雲能の3曲に関しては雰囲気の違うものですし、使う能面も違うので、それぞれについて世界を広げてもらえたらいいかなと思っています。
日時:1月19日(水)、インタビュー場所:宝生能楽堂稽古舞台、撮影場所:宝生能楽堂稽古舞台、2月五雲能に向けて。
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佐野弘宜 Sano Kouki
シテ方宝生流能楽師
昭和58(1983)年、東京都生まれ。佐野由於(シテ方宝生流)の次男。1988年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見(1988年)。初シテ「経政」(2008年)。「乱 和合」(2018年)、「道成寺」(2019年)、「石橋 連獅子」(2020年)を披演。
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――広報担当より読者の皆様へ
本日から新しいテーマでインタビューが始まりました。
振り返ってみると、記念すべきインタビュー第1回目は弘宜先生のお父様の佐野由於先生。そして、由於先生が勤めた曲も弘宜先生と同じ「東北」。偶然の一致にびっくりです。素晴らしいタイミングとなりました。
「私の推し面」シリーズもこれからぜひお楽しみください!
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