「はなす」ことで行き着く「愛」もあるということ
私は占い師である。
いろんな人とお話をさせていただく。
いろんな人生のかけらを聞かせていただく。
なんて幸せなお仕事だろうかと思う。
先日のセッションで感じることがあって、上記のようにツイートをした。
身近な人や家族のことを想う時、
「なんでそんなことをするの!?」
「わけわからん!」
「それで大丈夫なの!?」
なんて感じることもあるだろう。
そしてその案件に対してどうしたらいいか、が目の前の問題として浮かび上がる。
そういった内容のお話を一緒にしていくこともある。
ゆっくりお話していくと、どんどん出てくる。
目の前の問題だけでなく、そこに関わる過去のことや、自分自身のことだったりもする。
そうしてどんどんと「はなして」いくと、いきつくことが愛だったりもする。
言葉にするとこっぱずかしいが、愛なのだ。
そりゃ全部100%そうなるとは言わないが、結構な頻度で「愛」だったりする。
「昔の自分のような経験をして欲しくない」
「傷ついて欲しくない」
「もっと楽に生きて欲しい」
これらを愛と言わずしてなんと言うのだ。
そりゃ愛がこじれて「心配」や「不安」になることもあるだろう。
それでもその心配や不安をかき分けた中に、愛も数パーセントはあるはずだ。
私はそう思う。
初めの問題は問題の本質ではないのだ。
愛に気づいたとき、問題は変わる。
そして、どうするかの行動も変わる。
意外とそちらの方がすっきり動けたり、すっきりした気持ちで取り組めたりする。
「話す」ことは「放す」こと。
出してみるのはとても大事。
ぐるぐると考えることがあったなら、誰かに話してみるのもいいと思う。
話すのが難しいなら、殴り書きでもいいのでどんどんと書いてみるのもいい。
溜めてしまうとしんどい上に、自分も混乱してしまうしね。
自分のために時間をとって、「はなし」てみよう。
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