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昼風呂とたくさんの常識の話

現在17時50分。この記事を書き始めた時間だ。
こんな時間なのに、すでにお風呂上りだったりする。

なんと贅沢なのだろう。

と、思う。

同時に気付く。
お昼間にお風呂に入ることは私にとっての贅沢のようだ。


この一点だけでも、いろんな思いこみがあるものだ。

私にとってお風呂は夜に入るもので、
仕事など用事が終わったあとのもの。

だから平日の多くの人が働いている時間に、早々にお風呂に入っていることは「贅沢」なのだ。

そして、この「贅沢」とはなんだ、と考えた時、
「やることに追われていない状態」なのではないかと思った。


へええ!なるほどねぇ!(えっ)


そんな風に、ちょっとしたことでも「自分の常識」がしれっと根底にあったりする。


個人セッションでお話したお客様で、「こんなにゆったりだらだらしていていいのか」と自分のことを言っている方が居た。

きっといろんなことを頑張る方なんだろうな、と思う。

今までの「自分の常識」と比べると、今の状態が違っているからこそ、不安になる。

でもその「常識」は「他の人の常識」とは限らない。


例えば、私は夜は寝るべきだと思っているが、旦那さんは夜に起きている人である。

なぜ!?と思ったけれど、私がなぜ夜寝るかというと、その方が心も体も調子がいいから。対して旦那さんは、夜寝なくても心も体も影響を受けないのである。

私にとっての常識である「夜寝るべき」は、「夜寝た方が私自身の心と身体が調子がいいからそのために寝るべき」が正式名称(?)なのだ。

言ってみれば、自分のために自分が夜寝たいということで、やりたくてやってるとも言える。

旦那さん本人が困らないのであれば、私がやりたくてやっている「夜寝る」も別に彼は採用する必要は無い。


前述の「こんなにもゆったりだらだらしていいのか」という不安も、他の人から見たら「え、私もっとだらだらしまくってるけど?♡」となることだってあるはず。

自分がゆったりしたいのであれば、してもいい。

今の自分の状態を過去の自分の常識で断じる必要は無い。

自分にも、世の中にも、そして時によっても、
「常識」はたくさんあるのだ。

いつもと違う時の流れを、満喫して欲しいな、と思う。


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