まずは、前回の記事の補足から。
人間は、神によって創造されたと信じているひとはけっこう多いと思う……が、わたしは「ダスカロスの教え」の内容が真実と考える。
神が自身の中に自身を表した 聖なるモナド の投射が人間であり、創造されたものではないというのは、見落としてはいけないところ……にもかかわらず、この記事を書いたとき は意識できていなかった (;´Д`A …
よって、謹んでお詫びし、下記のように訂正いたしマス m(__)m
ここで注意していただきたいのは、人間には 聖なるモナドとしての自己 と、聖なるモナドの投影である 自己認識-魂 としての自己 という2つの側面があるということ。聖なるモナドが 人間のイデア を通ることで形づくられるのが 永遠のパーソナリティー で、この段階が 自己認識-魂としての自己 である。
そして、自己認識-魂 は神と同様に自己を 分離の次元 に投影し、一時的パーソナリティー、ノエティカル体、サイキカル体、肉体 などを創造する。その際に重要なのがエーテル・ハートにつくられる 永遠の原子 であるが……これについては後の回で詳しく説明することにして、今回は人間と転生の仕組みについて、「ダスカロスの教え」と「ロバート・モンロー氏の探究結果」を比較しつつ、考察してみようと思う。
下記からもわかる通り、わたしはダスカロスだけではなく、ロバート・モンロー 氏やブルース・モーエン氏などの影響もかなり受けている。
それによって……というか、巷に溢れるさまざまな情報や先入観などによって、わたしは「魂(6次元の自己、トータルセルフ)が5次元に降下する際に2つに分裂し、それが『あなたとわたし』『陰陽』『善悪』などの二元性を持たせる原因」という エレメンタル(想念形態)をつくっていたのであるが……これは間違いであった。
高次から低次への移行は分裂ではなく、ひとつの聖なるモナドの放つ光量が段階的に絞られてゆくイメージで捉えるのが正しいと気づいた。
この件に関し、ダスカロスは「光」と「窓枠」を使った例えをしばしば使う。それを拝借してアレンジしてみた。
絶対存在が「太陽」で、聖なるモナドが「太陽から放射される光」……で、その「光」が大天使的人間のイデアという「窓枠」を通ると大天使的人間になり、さらに人間のイデアという「プリズム」を通ると、「床の上に映った窓枠型の光」という 自己認識-魂 の上に「虹の7色」という永遠のパーソナリティーが投射される。そして、自己認識-魂 が「虹の7色」の中からいくつかの色を選び、「床に開いた穴」を通して「床下」という分離の次元(3~5次元)に、一時的パーソナリティーを投影する……というふうにイメージしている。
ともあれ、基礎となる思想や知識に不整合があるとカオスになる。それで、「現段階におけるじぶんの認識」をチェックしようと思ったのだ……というわけで、人間とはどういう存在か?について図示してみた。
「ダスカロスの教え」と「モンロー氏の教え」を併記すると、ほとんど同じことを別の言葉でいってるだけのようにみえる……が、モンロー氏のいう I/There(IT、トータルセルフ)やクラスターの概念は、ダスカロスの永遠のパーソナリティーの概念とは異なっている。
この点は、考えていた以上に重要なポイント!
ダスカロスの教えにある 自己認識-魂 および 永遠のパーソナリティー については 復習済み ゆえ、モンロー氏の I/There(IT、トータルセルフ)、クラスターの概念について、違いがわかるよう今井泰一郎氏の「ヘミシンク探究大全」から引用したい。
モンロー氏のいう「信念体系」とは 人-悪魔(欲望-思考型エレメンタル)で、「それらを崩し抜ける」というのは 人-悪魔 の 非活性化 のこと……で、その作業を経て「それぞれのITメンバーの人格と今の自分とのつながりを確認できた」というのは、永遠のパーソナリティーと一時的パーソナリティーとのつながりが自覚できたということである。
永遠のパーソナリティーと一時的パーソナリティーとの関係性ついて、ダスカロスの「エソテリック・ティーチング」に優れた解説がある。
もっかの目標がズバリ書いてある (*^^)v
ダスカロスのいう永遠のパーソナリティーは、一時的パーソナリティーとして数知れない転生を繰り返してきた自己の経験のすべてを反映し、かつ聖なるモナド(神)との繋がりが明確に保たれている統合的なパーソナリティー(個別化された自己性)である。一方、モンロー氏の I/There(IT、トータルセルフ)はじぶんだでけでなく、さまざまな人格を持つ他者も含まれており、同時に地球3次元に転生することもあるという。
で、この相違だけでなく、モンロー氏がいうところのフォーカス27(輪廻の中継地点)を高次4次元としてきた件 なども、かなり怪しくなってきた、、、ダスカロスは6次元を「転生と転生の間に休みにくる場所」だという。つまり、「死後は4次元→5次元→6次元にシフトし、必要に応じて再び分離の次元へ転生する」のが通常の転生サイクル……にもかかわらず、「3次元と4次元の間でグルグル輪廻転生する」と考えたのは、信念体系領域(低次4次元)に吹き溜まったエレメンタルに引っ掻き回されていたからかもしれない ( ノД`)シクシク…
この違いは、想像以上に深刻なのだ。
「ダスカロスの教えがわたしのスピリチュアルな学びの基礎」といいつつ、肝心なところで思考が分裂し、それが進歩を阻む要因となっていた、、、と、失敗の原因がわかれば修正すればよい。
モンロー氏の考え方とのすり合わせや、じぶんの過去記事の修正などはひとまず保留するが(復習が一通り終わったら補正の予定)、わたしは「ダスカロスの教え」に倣い、分離の次元に「魂」を分け合った他者がいる というエレメンタルは非活性化する……と明言しておきたい。