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【ダスカロスの教えに学ぶ7】人生は完璧な先生/スピリチュアルなエゴイズム/【晩年のライフワーク】森と海をつなぐ


人生は完璧な先生、正しい考えによって悟る

ハラランボスランバート氏の著書を、少しずつ読み進めている。

ダスカロスの「エソテリック・ティーチング」や「真理の言葉」はかなり取っつきにくいが、ハラランボス氏の本や「クジラと泳ぐ」は読みやすい……といっても、本を読むだけでは十分ではない。直に体験することで知識は智恵になってゆく。

ハラランボス氏の著書には、いまのわたしに必要な学びがたくさん詰まっている。

せっかく人生からの贈り物であり、貴重なメッセージである「問題」に会った時には、決して逃げたりせず、しっかり受け入れることが大切です。これは真理に結びつく素晴らしいチャンスなのです。

どうしてこんな嫌なことが私に来るのか? それをよく研究して分析すると、なるほどと裏のメッセージが見えてきます。その時に真理が見えるのです。何でも自分の肌で体験することが大切です。私たちが真理を学ぶには、痛みによって気づく方法と、正しい考え方による方法があります。正しい考え方はいちばん近道楽に成長する方法ですが、この方法はほとんど誰も気づいていません。

今、私たちがしているように、耳や目から覚えたり、本から覚えたりすることは、人はとても苦手です。聞いても頭に入らないし、なかなか理解できないからです。しかし、耳から学ぶというのは本当に痛みのない学びなのです。このことをキリストは次のように言っていました。「耳がある人が聞こえ目がある人が見える」。こういうチャンスを見逃さないで、ぜひ利用してほしいと思います。

私たちから嫌いなものに対する抵抗がだんだん抜けていくと、人生は楽に自由になるので、今までの自分の考え方は、もしかして間違いかもしれないと疑問を持つことは大切なことです。自分の考え方や知識に自信がある人は、先入観を持ちやすく、真理の光が見えなくなります。ギリシャの素晴らしい哲学者ソクラテスは、「私が唯一知っていることは、自分が何も知らないということである」という言葉を残しました。私たちもそのくらい謙虚にならなくてはいけません。

自分の考え先入観から来ているのかどうかを知るには、考え方を毎日内省してみることです。自分に自信がありすぎる人は、進歩がそこで止まります。内省をしないからです。芸術家でも科学者でもそうですが、自分の考え方に疑問を持つことによって成長していきます。自分に自信のある人は、それが エゴイズム から来るのかどうかを追及することが大事です。先入観というのもエゴイズムの一つの顔です。

エゴイズムには、数えきれないほどたくさんの顔があります。ある時は本当に悪魔のような顔をして私たちをだまし、ある時はとてもきれいな顔をした天使の姿になります。そして私たちをだますのです。いろいろな仮面を持っているから、捕まえにくいのです。しかし、内省をするとどんどんエゴイズムが見えてきます。

もし人に「あなたは満足していますか?」と聞くと、満足している人はほとんどいません。ほとんどの人は不満足な状態です。なぜなら、その不満足というのは、自己充足の反対の「空虚」という状態から来ているからです。この「空虚」というのもエゴイズムの一つの顔です。その空の状態にいろいろなものを入れないかぎり満足できません。しかしその入れるものが、永遠のもの一時的なものかによって、満足感が大きく変わってきます。人間は、永遠のものからしか本当の満足感を得ることはできません。

エゴイズムは判断能力がないので、誤解先入観によって欲望をつくり、一時的なものでいっぱいにして満足感を手に入れようとします。しかし、私たちが本当に探し求めている自己充足は私たちの外にあるのではなく、私たちのすべてあるのです。自分の欲望が、先入観誤解から生まれているのかどうか確かめるべきです。そして、それが本当に必要なのかどうか、自分で判断できる能力を身につけることが必要です。

絶対無限の存在は、私たち一人ひとりの叶えてくれます。私たちの必ずいつか叶えてくれるのです。有名になりたいといえば叶えてくれるし、お金持ちになりたいという願いも叶えてくれます。そのような欲望は、叶うのを経験した後で、それが本当に必要なものだったのかどうかがわかります。

欲望を満たすということも、人生の中の一つの学びなのです。飽きるまで欲望を満たすという方法です。飽きるまでやりつくし、痛みを経験して、やっと正しい判断考え方ができるようになります。しかし、真理の探究者はそうならないように、前もって自分自身智恵によって、そういう無駄な苦労と経験を避けることができます。

何度も繰り返しますが、「正しい考え方」が本当に大事で、人生のつらい痛みを避ける方法なのです。

「私は何のために生きているのか?」219‐222ページ
太字化はNoelが実施

「エゴイズムなどなければいいのに」と思うかもしれないが、人間には自由意志があり、大天使とは違っていいこと悪いことも体験できる。個別化された自己性 を表現できるのは、人間ならではのスペシャルボーナスポイントなのだ。

エゴイズムというのは、神様が間違えて許したことなのでしょうか? 

エゴイズムの裏を見ると、それは私たちのため道具だとわかります。もしエゴイズムがなければ、私たちはこの世界でどのように勉強ができるでしょうか? エゴイズムがなければ痛みを感じることもありません。痛みを感じないと、人間はどうやって目を覚ますことができるでしょうか?

私たちが、もしだけしかない部屋の中に生まれ、ずっとそこに住んでいるとすれば、光というものはどういうものかと聞かれても答えられません。なぜなら、を知らないからです。電気を消すと光の良さが初めてわかり、感謝します。光がないという状況を、私たちはこの地球で学びます。そうすると初めて、に感謝できます。だからというのはその意味で嫌なものではないのです。は私たちにいろいろなことを教えてくれるのです。

結局、エゴイズムというのも、私たちが学ぶため道具なのです。そして私たちが成長していくと、痛みというものはもう必要なくなります。なぜなら自分一人で勉強できるからです。

「私は何のために生きているのか?」227ページ
太字化はNoelが実施

スピリチュアルなエゴイズム

エゴイズムプライドは、切っても切り離せない関係にある。

エゴイズムの中にはあらゆる種類の「プライド」が入っています。

たとえば自分の肉体の美しさに関するプライド、それはナルシシズム(自己陶酔)というものです。また、自分はほかの人より上だという優越感のプライド、それを否定されるとひどく感情を害します。また知識があって、自分がほかの人より頭が良いというプライド、これは前の2つより恐ろしいものです。なぜなら盲目になり、事実見えなくなるからです。しかしこの3つを合わせたものよりも恐ろしい4番目のプライドがあります。これにおちいると、何百年もの長い間、そこから出られないことがあります。

それは「スピリチュアルナルシシズム」です。スピリチュアルな勉強をしている人たちは、誰でも最初は謙虚な心で始めます。しかし何年か経つと、修練によっていろいろな能力がついてきて、ヒーリングしたり、人に教えたりすると、人が集まってきて、その人たちの憧れを受けます。すると自分が何か特別な存在になったように勘違いしてしまい、その人の成長はそこで止まってしまうのです。これは真理探究者によく起こることがあるので、特に気をつけなくてはいけません。このエゴイズムは、昔から高いレベルの聖者たちいちばん恐れていたことです。なぜならどんなに成長しても、この罠におちいる危険性がいつでもあるからです。

エゴイズムがあると、それがフィルターとなって、自分の中にある天国とつながる時に障害となります。そのフィルターが取れないかぎり、私たちは繰り返し、苦労したり痛みを感じたりします。私たちは、自分に対して本当の愛情を持たなくてはいけません。自分に愛情を持てば、まず最初に、自分のエゴイズム取り去るでしょう。なぜなら自分がかわいそうだからです。私たちは自分を愛する代わりに自分をいじめています。

「私は何のために生きているのか?」223-225ページ
太字化はNoelが実施

いまここ天国にしたい。

普通の人は、肉体がなくなって3次元から 4次元(サイキカル界)に移っても、エゴイズムのカプセル(Noel註:)を持ち続け、何も気づかないで生き続けます。亡くなった後も自分が4次元に来ているという意識がほとんどなく、を見ているのと同じ状態です。皆、自分は3次元にまだ生きていると思っています。

3次元から4次元5次元に行っても、自分のに入ったまま、自分自分の世界つくります。人間が亡くなった後、「ここに行きなさい」などと指示してくれる存在は誰もいないのです。自分で選んで、行くのです。自分の意志で、自分波動にあった所に行き、同じ波動の人との生活が続きます。そこが私たちのによってつくる天国であったり、地獄だったりするのです。この世が地獄であれば、サイキカル界に行ってもそれが続きます

「私は何のために生きているのか?」223-225ページ
太字化はNoelが実施

晩年のライフワーク

水源の森へゆく片道約2時間の山道を整備することにした。今後は肉体を使った作業が増える。

生物多様性の森をつくる事業は今後も継続されるが、樵チーム(仮名)の皆さんはいったん関東に戻り、9月から作業再開とのこと。それまでに、我が家から水源の森までの山道に慣れておきたい (*^^)v

きのうは車で、に連れていってもらった。

お天気、サイコー。
大きな花崗岩がゴロゴロある。
間伐材を使った土留め。
足を踏み込む場のなかった森に、すてきなトレイルができた。
稲わらを敷くと、滑りにくくなる。
のはじまるところ。
少しずつ、流れは太くなる。
岩、苔、羊歯、蔦のコラボレーション。
森の土をこね、炭化器で焼いたオブジェ。5人の子供たちのお母さんのアイデア。
彼女のセンス、好きだな~
素焼きのミニ盆栽、すべてあるものでできている。
にゆだねた恐竜の卵。
森のお灸……を加えると、山()にのエレメントが流れ始める。
森の治療……炭化させた杭を打つと、(空気)の浸透力が増す。
水場ができると、生き物がたくさん棲みはじめる。
地中を流れる水を覗く穴ぽこ…ちょろちょろと可愛い水音が聞こえる。
人工林を活かすには人手が要る。
この森が、とても好き

原生林は人を拒む雰囲気あるが、よく手入れされた杉やヒノキの人工林は喜んで、人を招き入れてくれる。