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経営とは対話である | 『企業変革のジレンマ』(宇田川元一) | きのう、なに読んだ?
宇田川元一さんの『企業変革のジレンマ』は、いわゆる「倒産の危機からのV字回復」のような劇的な改革ではなく、「なんとなくうまくいかない」「もっと良い職場にしたい」といった、多くの企業が抱える“慢性的な問題”にフォーカスした一冊です。宇田川さん自身、「これは急性疾患に対する手術ではなく、慢性疾患に対するアプローチだ」と明確に位置づけています。
私が見たレビューでは、この“慢性疾患”や“構造的無能化”という捉え方に注目し、「わが社にも当てはまる」「まさにその通りだ」という感想が多く見受けられます。しかし、私はこの本を読んで、ポイントはそこではないと感じました。注目したのは「対話」です。
経営変革とは「対話」することである
本書の序章(p.20)で宇田川さんは次のように述べています。
変革とは対話することである。本書で述べる対話とは、他者を通して己を見て応答することである。
この定義に私は深く共鳴しました。単なる意見交換や情報共有ではなく、「他者を通して己を見る」という視点、そして「応答する」という姿勢。私が実践を通じて感じていたことを、改めて言語化していただいたように思います。
ここで言う“対話”は、ただみんなで一斉に喋り合うだけではありません。むしろ、
経営における対話とは、他者との関係性の上で成り立つ、1つの思考の運動の形式である。
と宇田川さんは述べています。たとえばドラッカーが言う「顧客の創造」も、顧客という“他者”を媒介に「自分たちの役割は何か」を見いだす行為と捉えれば、それは対話そのものだというわけです。
私が感動したのは、「経営変革のど真ん中に対話を置いた」という明確な姿勢です。しかも宇田川さんの定義する“対話”は、私たちエールが実践している「聴く」姿勢、そして私が監訳した『LISTEN』の内容とも非常に近いように感じられました。
本書の核心となる、対話の定義
宇田川さんが提示する「対話」の定義で特徴的なのは、対話の前提として「自分は全てを分かっていない」という認識を置いている点です。組織で仕事をしていると、専門性や役割分担の都合から「自分の領域は自分が一番よく知っている」という前提になりがち。変革を担う経営者ともなれば、なおさらではないでしょうか。しかし宇田川さんはむしろ、「そう、わかっていないのは、多分私たちだったのだ」という気づきこそが、真の変革の出発点だと説きます。
私はこれを、PowerPoint以降に広まった「プレゼンテーション文化」とは本質的に異なるアプローチだと捉えています。プレゼン文化は「自分の方がよく分かっている」「相手に教える」という前提を取りがちですが、本書が示す対話では、他者の視点を通じて自分の理解の限界を知り、そこから新たな可能性を開くのです。
「自分は全てを分かっていない」
「そう、わかっていないのは、多分私たちだったのだ」
この姿勢は、私たちエールが整理し実践している「聴く」そのものだと感じました。以下、『LISTEN』の「監訳者はじめに」から引用します。
私はエールでの仕事を通じ、能動的に相手に注意を向けて「LISTEN」する中にも、大きく異なるふたつの姿勢があると知るようになりました。それは、話し手の語る内容を「私の考えと合っている・違う」などと自分の頭の中で判断しながら聞く姿勢と、いったん自分の判断を留保して話し手の見ている景色や感じている感覚に意識を集中させる姿勢のふたつです。本書では、後者の耳の傾け方を特に意識して記述している箇所では「聴く」の字を当てることにしました。
宇田川さんは本書全体を通じて「経営とは変革であり、変革とは対話である」と主張しています。ここで言う対話は、自分の判断を留保して(without judgement で)“聴く”ことなしには起きえない、とも言えるでしょう。
「聞く」ということの捉え方はさまざま
ビジネスにおいて「聞くことの大切さ」を語る文脈はいくつかあります。たとえば、
コーチングやキャリアカウンセリング:
1対1で“聞く役割”を担い、クライアントが「聞いてもらう」ことで変化するプロセスを重視する。企業のマネジメントスキル:
多くの組織が1on1を導入しているように、管理職が部下とのコミュニケーションを円滑に進めるための“聞く力”を重要視している。人的資本経営や統合報告書での対話:
投資家やステークホルダー、経営陣と社員など、立場の異なる者同士がフラットに意見を述べ合う「場」を定期的に設ける企業も増えている。
これらはいずれも「聞く」や「対話」に関わる行為ですが、微妙にニュアンスが異なります。私は「対話は聴くことから始まる」と考えており、「経営にとって聴くことは欠かせない要素だ」と思ってきました。本書に触れて、その考えが「対話こそが経営である」という宇田川さんの緻密なロジックと結びつき、自分がぼんやり感じていた重要性をいっきに高解像度で示されたような感動を覚えています。
感動ポイントをいくつか挙げる
ここからは、私が本書を読んで「もうその通りすぎる…!」と心を動かされたポイントをいくつかご紹介します。
1. 「慢性疾患」という捉え方
多くの企業が直面しているのは、“急性疾患”のように目に見える大ピンチではなく、じわじわと停滞感が続く“慢性的な不調”です。宇田川さんはこれを「慢性疾患」と捉え、組織がもともと抱える構造の問題として提示しています。前著『組織が変わる――行き詰まりから一歩抜け出す対話の方法2 on 2』から提唱している概念ではありますが、本書ではよりいっそう明確に示されています。
2. 「対話とは他者を通して己を見て応答すること」という定義
この定義は非常に奥が深い。言い換えれば、「自分が完全には分かっていない」という前提に立ち、他者を通して初めて自分の考えに気づき、そこではじめて何かを“応答”していくという発想です。「わかっていないのは、実は私たちだった」という視点転換が、組織変革の土台になるのだと宇田川さんは説いています。
3. 危機感では組織は変わらない
「変革には危機感が必要だ」というセオリーは定石ですが、宇田川さんはこれに懐疑的です。危機感を煽ると「煽る側」と「煽られる側」の対立を生みやすく、慢性疾患状態にある組織でそれが本当に有効かどうか? 本書はその点を鋭く問いかけます。
4. 対話の根底にある“保守”の思想
宇田川さんは、マイケル・ポランニーなどの思想を参照しながら、「保守的な変革の思想と実践」としての対話を論じています。これは、自分の理性や知識に限界があると認め、外の世界や他者から学ぶ態度と言い換えられます。エドマンド・バークやポランニーを参照しつつ、人間の理性がカバーしきれない部分に“何か”があるのだという信念を持ち続ける姿勢が、対話へと人々の目を向けさせるというわけです。
5. 「顧客の創造」との結びつき
ドラッカーの根幹ともいえる「顧客の創造」を「他者を通して己を見て応答する」プロセスと捉え、そこにも“対話”があると説明している点が非常に面白い。顧客は最初から“そこにいる”のではなく、対話を通じて新たな価値を共に見いだし、はじめて“顧客”になっていく──という示唆です。
6. 「聴く」姿勢との近さ
宇田川さんが言う「他者の景色を見て、それに応答する」態度は、私が『LISTEN』で紹介した“自分の判断を留保する”聴き方と重なります。相手がどんな背景や意図を持っているのか、本当に理解しようと“聴く”あり方が対話の前提なのだ、と改めて感じます。
7. 組織には「構造的無能化」が埋め込まれている
宇田川さんが指摘するもう一つのキーワードが「構造的無能化」です。組織は目的達成のために分業化やルーティンを作り上げますが、同時に外部の変化に気づきにくくなる“副産物”を生み出します。私は「組織をつくったら、その定義上、必ず生まれてしまうもの」と割り切るほうがむしろ理解しやすいのではないかと思っています。
8. 多義性・複雑性・自発性の三要素
宇田川さんは企業変革に必要な論点として「多義性・複雑性・自発性」の3つを挙げ、それぞれが“構造的無能化”と密接に関係することを示しています。
多義性: 同じ課題でも部署や立場によって解釈が異なる
複雑性: 複数の部門・要素が絡み合い、取り組み方が単純ではない
自発性: 一見、個人の内面から生まれるようでいて、実は対話的プロセスの中で“共同的”に生じるもの
この三要素を分解し、それぞれに対して対話がどのように機能するのかを丁寧に描いているのが、本書の大きな特徴だと思います。
9. ナラティブ・アプローチの重要性
「対話とはこうあるべきだ」という先入観を一旦脇に置き、まずは当事者の声を受け取り、それに応答していく──そうした“ナラティブ・アプローチ”が紹介されています。上から「こう変えろ」と押し付けるのではなく、立場を変えて「相手の言葉で語り直す」プロセスが肝心だと。本書は、「わかっていないのは私たちだ」という姿勢を貫くことが組織変革のカギになると説きます。
10. 「語り手は、聞き手の言葉で語らなければならない」
本書の終盤(に登場するこのフレーズは、組織変革の要諦を見事に言い表しています。
語り手は聞き手の言葉で語らなければならない。メンバーに自発性が生じるためには、働きかける側もまた変わらなければならない。
これは「私たちが相手に何かを伝えて“変えようとする”」のではなく、「相手の視点を通して自分を捉え直し、相手の言葉で語る」ことで互いが参加者となり、新しい行動を起こしていくということ。言うは易しですが、実際に組織の中でこの態度を貫くのは相当のエネルギーを要します。
まとめ
『企業変革のジレンマ』の多くのレビューは「慢性疾患」や「構造的無能化」に着目していますが、私が特に感銘を受けたのは、「対話」こそが経営変革の中心に据えられている点です。組織に根付いてしまった構造的無能化に向き合うためには、「わかっていないのは私たちだった」と認め、他者の景色を見て応答するという対話的プロセスが必要なのだと、本書は丁寧かつ論理的に示しています。
繰り返しになりますが、「構造的無能化」は、組織が目的達成のために分業とルーティンを整備する際、必ずと言っていいほど生まれてしまう“副産物”です。つまり、「組織をつくる限りは避けられないもの」と言えます。だとすると、経営にとって「対話」は必須であり、ここで言う対話は自分の判断を留保し(without judgement)、相手の景色を本気で聴くところから始まるのではないでしょうか。
私自身、エールの事業や『LISTEN』という書籍を通じて“聴く”ことの大切さをお伝えしてきましたが、「対話を生み出す聴き方」が、企業や組織の慢性疾患を解きほぐす鍵になると改めて実感しています。
本書にはまだまだ多くの論点やエッセンスが詰まっていますので、興味を持たれた方はぜひ実際に手に取ってみてください。そして、もし良かったら私とも対話しましょう。
今日は、以上です。ごきげんよう。