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「共感」は疲弊するが、「思いやり」は健やかで優しい、という研究

年明けから能登の震災、続いて羽田空港での接触事故と、心の痛む事案が続きました。親族との楽しい団欒のふとした合間にもニュースが気になり、話題にし、いたたまれない気持ちになり、そしてまた団欒に戻る…。そんな2日間を私は過ごしてきました。

そんな折、画像の組織心理学者 Adam Grant の投稿がタイムラインに流れてきました。あまりにタイムリーな内容で驚きました。

粗訳しました。

苦しんでいる人に心を寄せるとしんどくなる、のではない。何をやっても無意味だと感じてしまうから、しんどいのだ。
無意味だと感じてしまう、そのしんどさを癒すのは、誰かの力になることだ。苦しんでいる人を助けることはできなくても、見ているよと伝えることはできる。
思いやりの第一歩は、苦しみを軽くしてあげることではなく、苦しみを認めてあげることだ。

投稿と共に、Adam Grant がNY Times に寄稿した論考が紹介されていました。イスラエルとパレスチナの戦いを受けてアメリカ国内では、反ユダヤの機運が強まったり、パレスチナ人の学生が殺されるといった不安な状況があり、それを念頭に置いて書かれたものです。
https://www.nytimes.com/.../israel-war-empathy-pain.html

その論考には、「共感」と「思いやり」の違いを示す研究が紹介されていました。Chat GPT翻訳・編集に手を入れてます。(小さいが重要な間違いがいくつかあった)

クリメッキ博士とシンガー博士の研究チームは、まず、被験者に共感 (empathy) を学んでもらいました。他人の痛みを感じる方法を教えたのです。そうして脳を見てみると、被験者が他者の苦しみを見た時、自分自身が痛みを感じる神経ネットワークが活動することがわかりました。痛みを感じたわけです。しかし、他者を助けることができなければ、その痛みから逃れるために、無関心になり心を閉ざすのです。
そこで、研究チームは、共感する代わりに思いやり (compassion) を持って対応する方法を被験者に教えました。他者の痛みを共有するのではなく、相手の感情に気づいて慰めることに集中する、というものです。思いやりのある対応は、共感の時とは異なり、社会的つながりや親しみを感じる神経ネットワークを活性化させました。
現在、共感よりも思いやりのほうが、自分自身にとって健やかで他者に対しても優しいとされる研究成果が蓄積されつつあります。それは、このような脳の働きによるものだと言えます。思いやりは、他人が痛みを感じているのを見ても、それに圧倒されてしまうのではなく、助けたいという気持ちを促してくれます。

Grant, Adam. 「Opinion | That Numbness You’re Feeling? There’s a Word for It.」 The New York Times, 2024年1月1日, sec. Opinion. https://www.nytimes.com/2024/01/01/opinion/israel-war-empathy-pain.html

論考には、こんなヒントもありました。スーザン・シルクという心理学者がLA Times に寄稿したものだそうです。

ダーツの的のような同心円をイメージする。
①中心には直接被害にあった(被災した)人たちが位置する
②すぐ外には、被災者の家族や親しい人たち
③その外側は、そこの地域社会
④さらにその外側は、直接影響はないがゆかりやつながりがある人たち
自分が同心円のどこに位置するかを確認する。で、自分のすぐ外側にいる人に支えてもらいながら、すぐ内側にいる人に思いやりを寄せる。

Adam が古い友人からもらったメールが、具体例として紹介されていました。「本当に伝えたいのは、大きなハグを送りたいってことだけ。あと、私があなたとご家族のことを心から大好きだってことを思い出してね。」「もし話し相手が必要なら、いつでも全力で支えるわ」

以上、Adam Grant がNYTimesに寄せた論考のご紹介でした。

お正月だから、親族との時間を楽しむ。しばらくぶりの休みの数日だから、自分を回復させる時間を取る。そのことに、ちょっと罪悪感や焦燥感を感じてしまい、頭ではそんな感情を持っても何の屁の突っ張りにもならないのになあ…と思って、ちょっと困っていました。私にはこの記事が少し助けになりました。

被災地近辺にいる知人・友人に「見ているよ」「気にかけているよ」と伝えることなら、私にもできそうです。

今日は、以上です。ごきげんよう。

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