ASDは「認知の世界」を生きている①自閉症の感覚世界について
3歳1カ月ASD(疑惑)の息子、いっくんを育てています。
3歳になって多少、歌を歌ったり、言葉がちょっとは通じるようになった?ということが出てきましたが、いまだにエコラリアっぽい独り言メインで、コミュニケーションとしてはほとんど話しません…。
知的な遅れを伴う自閉症と高機能自閉症は何が違うのか、という疑問
今3歳だけど、ここから知的に追いついていくのか、精神遅延となってしまうのかが知りたいなぁという気持ちがあり、いわゆる知的障害を伴う自閉症の子どもと、高機能自閉症の子どもって発達にどんな違いがあるのだろうと思ってきました。
おそらくうちの子発達が遅れている…と知ったお母さんって、子どもが幼児のうちは常にそこに不安があるのではないかと思います。
このまま定型発達の子と差が開いちゃうのかな?
それとも追いついていくのかな?
わたしはいっくんは賢い!いろいろと考えて、感じて、感受性が豊か!とも思っていました。
ただ、コミュニケーションのところだけごっそり何か抜けているなぁと。
知的な遅れはないと思っていますが、それでもずっと不安も抱えていました。
ただ、いろんな人のブログやインスタを見ると、知的な遅れがある自閉症の子たちは、もっと癇癪がひどかったり、パニックがある印象がありました。一方で、パニックや不安感がそんなにないようでいても、何歳になって有意語が全く出ない子もいる。
『子どものための精神医学』
いっくんの自閉スペクトラム症を疑うようになってから、本当にたくさんの本を読んできましたが、この本はすごくいい!と思いました。
今回は主にこちらのレビューを兼ねます。
タイトルはお堅い専門書感ゴリゴリですが…
臨床発達心理学の学びをスタートしているが故すーっと入ってきた
現在わたしは通信で臨床発達心理学を学び出したのですが、この本の中にも心理学用語がわりと出てきます。
例えば「カクテルパーティー現象」とか(笑)
カクテルパーティーでがやがやしていようとも、同じテーブルで一緒に立ち話している人の言葉だけをきちんと聞き分けるような認知機能のことです。
(自閉症児はこの機能が弱い)
それはそうと、心理用語がいっぱい出てきて、「お、これ習ったぞ!」とか思いながら読むことが出来て、とても面白かったです。
とはいえ、心理学をやっていないと読めないのかというとそうでは全くないです。
認知の発達で知的水準を、関係の発達で自閉的な水準を考える
まずこの本で感動したのは、自閉症の中でも、知的な遅れを伴うもの、高機能、アスペルガーなどとカテゴライズされているけれども、なぜそういった違いが生じるのかといったことが明確に示されていることです。
横軸を「関係の発達水準」、縦軸を「認知の発達水準」としたうえで、知的障害群(A)、自閉症(B)、高機能自閉症(C)、定型発達(T)を分けていて、それらがなぜスペクトラムとなっているのかが視覚的に明示されていました。
この表はすごくわかりやすいです。例えばわたしの感覚だと、うちのいっくんは関係の発達水準は非常に低いけれど、認識の発達水準はBとCの間くらいのような気がします。
ここで、認識の力があれば、関係の発達も同時に進んでいく。
子どもの発達は年齢が進んで青年期くらいにならないと確定はしていきません。人の知能は25歳くらいがピークでそれ以降は緩やかに下がっていくけれど、知的なレベルが高い人はまだまだ発達していくし、言語機能に関してはその後も発達し続けるとされます。
ただ、関係性の発達に遅れのあるASD児は、定型児がコミュニケーションの中で言葉を獲得する反面、外国語学習をするかのように言葉を獲得するという特徴があるようで、それはすごくわかるなぁと。
だから、喋り方がちょっとロボットっぽいというか、独特の硬さがあるそうです。
これでみれば、「グレーゾーン」とか「スペクトラム」の意味も非常によくわかります。
生物学的自然現象としての多様性に過ぎない
そしてこう書いています。
ということで、発達障害はよく言われる脳の機能障害ではなく、生物的な違いでしかない、ということですね。
ただ、生物的な多様性の中に脳の機能特性の違いというのも当然含まれているわけです。ただ逆に、「脳だけでは説明できない」ということでもありますよね。
脳は身体と繋がっているし、心と繋がっているから。
心理学を心じゃなく脳で説明しようとしたことから、生物として全体で理解しようとすることへの歪みが起きたとの指摘もあります。
自閉スペクトラム症の感覚世界
この本の素晴らしいところは、著者の滝川先生が、自閉スペクトラム症の感覚世界に寄り添って書いていることだと感じます。
タイトルに「子どものための」と銘打っているだけあって、今までみてきた中でも素晴らしく子どもに寄り添った感覚世界を丁寧に説明してくれている本だと思いました。
たいてい研究者というのは、自分たちが自閉スペクトラム症ではないから、彼らの感覚世界を予測するしかありません。その時に、外から見える症状とか、脳のMRIとか、統計的なもので理解しようとします。
当然それらも重要ですが、この先生はひたすらASDに寄り添って、その内面世界を知ろうと努力した、その成果が表れていると感じました。それはわたしたち親も試みようと努力し続けるのと同じ目線、とてもとても優しい目線だと思いました。
世界を言葉でカテゴライズするようになると、認識の世界の中を生きるようになります。窓の外の風景を見て、これは木だな、あれは山だな、という認識が前提でモノを見る。
認識したもの以外はほとんど意味をなさず、認識されるものとされないものに自然と別れる。
だから、大事だと思う話を聞きとれるし、必要と思う情報を選び取って、見て、理解することができます。
しかし、まだ言葉を伴わないうちは、「認知の世界」を生きている。見たものすべてが細かく目に飛び込んできて、その世界は刺激が多すぎて「怖い」ものなのだそうです。
これは定型の人もそうで、だから1歳くらいまではASD児と同じく世界に、環境に過敏になる。けれども、お母さんに抱っこしてもらい、まどろんで過ごしている時間が長く、1歳過ぎると徐々に人と感覚世界を共有し、理解していくようになります。
言葉を持つことが遅れるASD児は、カテゴライズされた認識の世界を生きておらず、赤ん坊のような認知世界のままです。
そしてすごーーく納得したのが、ASD児の多くが感覚の過敏性を持つのは、わたしたちが夜道をこわごわと歩くときに、少しの物音にもびくっとなるのと同じだと。
認知の世界は、身体や五感の分化が遅れ、すべてが無秩序に飛び込んでくるため、聴覚や視覚の感受性が強くなったり、識別して記憶をしないため、記憶力が卓越な人も多い。
個人的には左脳の発達が遅れる分、右脳が強く働いて発達するから、それで写真記憶を持てたりもするのかなぁなんて思いました。
天才的な能力とか、サヴァンとかもこういうことですよね。
目が良く見えない人が聴覚や触覚を通常の人よりも発達させるのと同じことだ、と。
いやー、納得なっとくです。
いっくんはそんなに恐怖感や感覚の過敏さは感じませんが、やはり音やテレビの映像におびえることはあります。病的な感じは全然ありませんが。少し敏感かな、というくらい。
ASDはまず感覚過敏が根底にあって、そのためにいろいろな不適応を起こすのでは?という主張をしている方もいますが、じゃあなぜ感覚の過敏性を起こしているの?というところの説明がほとんどありませんでした。
滝川先生の説なら、「世界を分化できない認知の世界に生きているから」という大前提の中でいろんなことがつながりをもって説明されていて、とても分かりやすかったです。
そのために、自己中心化が遅れる(これも発達心理学の用語です)とか、不安や緊張感が強くなるとか、感覚世界を閉じることで安心感を得るために常同行動が増えるとか、すべて繋がっている。
おわりに(その②に続く)
このような明確な説明の後に、では、高機能者と知的な遅れのある人はどう違うか、なども説明が明確にしてあって、わたしはそれがとても嬉しかったです。
結論としては、いっくんは知的な遅れはほとんどなさそうかな、と思えました。
3歳を過ぎて、療育手帳の申請をするかどうか考えていたので、役所で手続きをして、検査を受けて、という手間が省けました。いっくんは療育手帳まではいらないかな、と。
次回は知的な遅れを伴うかどうかで認知世界がどう違うか、それに伴う発達の違いは?というところをまとめてみます。