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教壇に立ち続ける ㊴ 新しいパソコンを使い倒しておもうこと【note限定記事】

今日はやることがたくさんあるので、早起きさんです。荷物の受け取りと、執筆と、勉強と、通院と、オンセと……はちゃめちゃに充実していますね。どうも星野です。
タスクが多すぎるので、pptxの音声吹込みは夜に回して、今から「ICT機器を生徒に持たせたらどんなことができるか」ということについて語りたいと思います。
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生徒にICT機器を持たせることを渋る学校もそれなりに多いと聞きます。実際勤務校でもスマホは電源を入れていはいけない、というルールを徹底していますし、他所様のことを言える立場ではないのですが、それって本当に生徒のためになるの? とも思うわけです。
定時制の生徒は電子辞書を持っていません。学校にも古語辞典等が準備されていません。その状況下で古語の知識・語彙をどうやって増やすのだろう、調べることを教えずにただ暗記せよ、だなんて、私はそんなことをやりたくないし、そんな教え方をするために教師になったわけじゃないのに……と悶々としています。
もちろん生徒の中にはスマホでゲームをする子も出てくるでしょう。管理することもある程度は必要です。しかし何でもかんでも「だめ」「禁止」としていて、本当に主体性って伸びるものなのでしょうか、と問いただしたくなるのです。
ICT機器の強みは検索だけではありません。書字に課題を抱えている生徒にとっては、タイプしたノートに助けられることもあるでしょうし、音声入力もできるなら「話し言葉と書き言葉の違い」などを可視化できるので、国語での学習活動の幅はぐっと広がります。
それなのに活用しないという選択肢を取り続けていていいのか……? と私などは思ってしまうのです。

オンライン授業に限らず、ICT機器を使ってできることは多くあります。大学の講義などもスライドを見せますし、それを高校の授業でもやっているところがあるとも聞きます。例えば理科の授業で写真・動画を見せたり、社会科で調べ学習をしたり。小学生のうちからプログラミング教育を施すなら、全ての児童生徒が自由に使えるタブレットPCをひとり一台無償提供するくらいの気概を見せてくれなくては困ります。貧困家庭もあるでしょうし、被虐待児もいます。そういう子たちにも等しく教育を与えるのが公教育の役割です。まあそういったことは、この騒動の中で「オンラインで授業をすること」あるいは「ネットで生徒とやりとりすること」を覚えたからこと、堂々と言えることなのかもしれませんが。ネットでもやりとりできるのは本当に便利です、宿題・フィードバックの管理が一元化されるわけですから。とてもありがたいことです。その「生徒のためにも、自分のためにもなる」ツールを活用しない手はないと思うのは、私だけでしょうか。

じゃあどんな取り組みが考えられるか、という具体例をお示しします。実際にやったらたぶんこれくらいできるぞ、という決意表明に近いものです。

まず現代文の授業。メディアリテラシーを身につけるための指導として、学校図書館とも協力しながら「電子資料の調べ方」「資料の正しさをどう見極め、情報を取捨選択するか」を教えられます。ひとり一台タブレットを持っていて、学校にもWi-Fiが飛んでいる環境なら、「紙媒体の資料」と「電子媒体の資料」のそれぞれの良さやメリット、そしてデメリットの比較をしても面白いと思います。
次に古典の授業。翻刻などのやり方を見せることも可能です。たとえば「みんなで翻刻」などの活動を実際に見せるなど、古典研究の実際を見せて興味を持たせることや、歴史の授業とリンクさせて、漢文・古文の成立についての調べ学習をしても楽しそうです。教科横断もタブレットでより手軽にできるようになると思います。それに、教科書の本文も写真で撮ったりpdfにぢたりできれば、生徒が教科書本文を写さずにそこに直接書き込めばいいのですから、労力は減ります。

こういう手間のないことを軽視するひともなかにはいらっしゃるのかもしれません。しかし削減できるものはどんどん減らして、授業そのもの、教科そのものの面白さや有用性を理解してもらうことに注力すべきだと考えます。それは自分の働き方改革であり、生徒の学びの変革でもあります。それらを推進していくことで、今までの課題が消えることだってあるでしょう。先進的な取り組みをしているところを白眼視するような風潮は、もうそろそろ止めにしてもいいと思うのです。
生徒に電子機器を持たせる、ということについて話してきましたが、なかなか現実はうまくいかないです。理想論になってしまいましたが、いつかこれがスタンダードな学びの形になることを祈って終わりたいと思います。それでは、また。


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