見出し画像

教壇に立ち続ける 64 今週の反省、プラスアルファ【note限定記事】

眠いですが、この時間を逃すと多分何もせずに眠ってしまうので、さっさと書き上げようと思います。どうも星野です。定期更新日は火・金・土。そして連続投稿日です。今回のお題、ひとつめは「今週の反省」です。低気圧と長時間労働によってへろへろですが、頑張って記録はつけておきます。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneとFantiaはこちら。商品を買ってもらえれば、私にも利益が出ますし、商品をお届けできるし、ウィンウィンだと思いませんか……? 全国一律送料無料、即日発送可。ラッピングも頑張りますのでよろしくです。

今週はテスト作成に追われ、まともに採点ができない状況にありました。時間のなさを仕事量の多さと結び付けるのは良くないことですが、それでもさすがにこの量は殺人的だなと思った1日のスケジュールを公開します。
8時30分開始の1限から6限まで授業、そのあと1時間補習、そして流れるように打ち合わせ、提出物チェック(これに最も時間をとられます)、テストの印刷と封入、提出をこなして職場を出たのが19時。小学校で教えている母は8時に出勤して19時に退勤しているので、ほとんど同じ生活でした。私の場合、夜にしっかり眠らないと希死念慮さんの暴走や体調不良にすぐ悩まされるので早い日は20時に就寝していました。その時間を採点に……とはどうしても思えませんでした。というのも平時は授業でのパフォーマンスを向上させなくてはいけないと考えているためです。採点はオンラインを最大限に活用しているので、基本的にはネット環境があればどこでも作業ができます。スキマの時間を活用すればいいだけで、私の時間の使い方が悪いだけなのかな……そこは反省です。それでも自分の趣味の時間を削ってまで仕事をすることがいいことだとは思っていないことだけは明記しておきます。自分を犠牲にしてもつらいだけだとわかったので、そういうことはしないようにしています。そういう理由もあるし、休息をとらないと授業がふにゃふにゃになることは昨年判明したことなので、そこだけは譲れないです。だからこそ時間の使い方をもっと工夫する必要があることは明白なので、短時間でも仕事をする・休むときは休む、を徹底していきます。

現代文・古典のテストはともにほぼ記述となりました。昨年初めてテストを作成して、何も参考にできるものもなく手探りの状態だったのですが、自分なりの「問い方」がだんだん見えてきたように思います。ベースは授業で習った内容ですが、それを ①確認する問題、②応用して解く問題の2種類です。文章は授業で扱った「山月記」と「失われた時代」です。それを少し加工して出題しています。真面目に授業を聞いて、学んだ知識を頭の中で再構築できる生徒はたぶん満点が取れると思います。頑張ってほしいですね。全日のほうでは教えたことがちゃんとテストに反映されていて安心しました。教師間の打ち合わせがほぼなかった(やってくれる先生もいましたが、みんな非常勤なのでやり方がそれぞれ我流な)のですが、中学の先生とお話しした際に「打ち合わせができなかったのが悔やまれる」と伝えたら「本来なら4月の段階でこういうことを教えるように、みたいなすり合わせをするのだけれど、今年はイレギュラーだらけだったから仕方ない」と返ってきて安心しました。中学の先生は同い年なのにすごく大人っぽくて尊敬しています。ああいう先生になりたい。キャリアが1年違うので(私はうつ病で休学した期間があるため卒業が遅れたのです)まだまだ私が足りないのは当然かもしれませんが、「適宜報告・相談する」「協力する」ことを1年かけてタッグを組んでいる先生から学んでいこうと思います。明日は1日作業をする日なので、採点・テストの確認を中心にやっていこうと思います。

授業の内容については、「わかりやすい」と言ってくれる生徒がいる反面、「まったくわからない」と言う生徒もいることがわかりました。そういうムラのあるものが、本来の授業の姿なのかもしれない……ですが、力不足なのは確かなので、できるだけ伝わりやすい授業にしたいと思っています。もっと選ぶ言葉や声の出し方から見直すべきなのかなと検討することはたくさんあります。内容も今以上にかみ砕いた方がいいのかもしれませんが、なんでも生徒の言いなりになるのはおかしいし、教師の権力性を正当な形で使う(生徒を評価し、指導する時点で教師が優位に立っていますし、その優位性を「教室の統率を取ること」や「知識を定着させること」に振り向ける)のが大事なのだと考えるので、そこは甘やかしません。その代わり徹底的に生徒と向き合います。質問に来た生徒には丁寧に対応するし、コメントをくれた生徒には感謝を述べてから対応を決める。そういうことを地道に積み重ねた1週間であり、軸をぶれないようにするという前回の反省を活かした授業スタイルの確立はできてきたと思います。しかしここで満足はできないので、次は「生徒に対して真摯に伝える」「わからなさと付き合わせる」ことをやっていこうかなと思っています。

わからなさ、といえば「失われた時代」の授業の話も。生徒にとっては「わからないことだらけ」の本文でしたが、なんと2時間で終わりました。生徒は本文と真剣に向き合い、「わからなさ」と格闘していました。そこに私がちょこっと入って、生徒の疑問を拾い上げて全体に還元したり、逆に生徒に問いかけて生徒が協働しながら問題を解いていったりと、結構自信の持てる授業ができたと自分では思っています。自然体で臨めたのも良い効果を生み出したのかな。板書計画はあっさりしていましたが、1時間目に熱かった個人言語の〈生きるという手仕事〉をもとに、具体例の対比の構造を見抜きながら筆者の主張まで生徒なりの表現で答えてもらう時間になりました。機会があればまた京都大学の問題で授業を構想してみたいです。感想をまだ聞けていないので、今度会ったら聞いてみようと思います。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

私はこの1週間で、文字通り忙殺されそうになり、本当にこの仕事の責任の重さや大変さを思い知りました。いや、知っていたけれど、改めて感じたというか。そんななかでも、たとえ自分が教師失格だったとしても、国語という科目を通して教養や生きていくうえでの物の見方や考え方を教えたいと思うし、生徒の心に響く言葉を伝えていきたいし、生徒と真剣勝負で向き合っていきたいとも強く感じています。だから「教壇に立ち続ける」のだと思います。それでは、また。

この記事が参加している募集

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。