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教壇に立ち続ける 52 生徒をどう評価するか

今日は病み上がり最初の出勤でした。つ、疲れた……けれど、教えるのはとても楽しいですね。どうも星野です。だんだんと慣れていければいいな、もっと次はこうしよう、と前向きに考えられているのはいいことです。1日1本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneとFantiaはこちら。

今週末にでも新商品を開発する予定です。たくさんの方と交流できている現実に自分でもびっくりしていますが、これからも購読・スキ・コメント・サポート等ご支援いただけるとうれしいです。
今日のテーマは「生徒にどう学んでほしいか」。これもこの間Twitterで話題になっていたので、自分の意見をまとめる意味で書いていこうと思っています。

児童生徒の目がきらきらと輝いて、積極的に発言をし、楽しくみんなが学べる授業。
教員なら誰でもたぶん理想として思い描くことでしょう。
しかし実際は、自分がアツく語っていても生徒は居眠りしたりさぼっていたり、思うように指導が行き届かないというのは「教師あるある」だと思います。
児童生徒は勉強が好き。そういう思い込みがどこかにあるのかもしれません。昨日の記事でも触れた上村さんのご意見、「勉強は誰でも好きになれるものではない」「自分ができるからと言ってできない人を責める理由にはならない、押し付けてはならない」というのが多分いちばん教員が胸に留め置かなければならない意見だと思うのですが、そこから踏み込んで、「どんな生徒なら評価できるか」についても考えていきたいなと思っています。

私の去年受け持った生徒に、寡黙で発言をほとんどしない生徒がいました。彼は国公立大に進学を希望しており、私に授業後たくさん質問に来た、努力家の生徒です。ノートもきれいにとるし、自分の意見もしっかり持っていました。けれど発言はしなかったし、いつもうつむき加減で、あまり楽しくないのかなと最初は思うくらいでした。
彼は本気で勉強に向き合っていたのだと今ではわかります。周りがどんなに騒いでも、彼は真剣に授業を受けていました。そういう彼を「発言をしない=主体性がない」として切り捨てるのは、間違っていると思います。だからこそ、去年の1年間は評価規準を考えるうえでとても有意義な時間でした。
私の評価規準は、基本的に「その子なりに何かを考えて、その子なりに表現できているか」というものです。
場面緘黙の生徒もいましたし、前述したとおり何も言わずに授業を受ける生徒が大多数の学校だったので、文字なら何か書けるだろうと導入したのが「リフレクションシート」でした。もちろん書けない生徒もいるので、そういう生徒には机間指導でおはなしをしながらノートに意見を書かせていました。言葉が足りないなら補う、意見が出ないなら思考の型を示す。そういうやり方で去年は通していました。少人数の学校で、ひとクラス多くても27人程度だったからこそできたことでしょうが、それを今年も続けていくし、もうひとつの勤務先(マンモス校)の45人学級でも、できる限りきめ細かく面倒を見ていこうと思っています。(※ただし自分の負担を増やしすぎると過労で倒れることが分かったので、そこは気を付けます)

生徒に求める学びの姿勢は、ただひとつ。「頭を使っている」――それだけです。
授業を受けていても、板書を写すだけのコピー機になられては困りますし、居眠りとさぼりは問題外です。しかし「黙っているから」「話せないから」「書けないから」評価を下げる、ということはしたくないのです。
基本的に褒めて伸ばすのが性に合っているので、生徒のいいところを見つけてそこをどんどん強化していくスタンスで授業をしています。だからクラスによってはアクティブラーニングもどきの活動をすることもあるし、それが合わないなと思ったらとことん個人活動のみにします。
そのなかで「頭を使っていることが分かる」成果物がひとつでもあれば、ひどい点数をつけるようなことはしません。テストの点数、ノートの書き込み、リフレクションシート、発言……それらすべてを加味して評価します。
みんなきっかけを与えれば、頭を使うことはできます。「賛成か反対か、理由を付けて述べなさい」とかだったら中学生でもできます。だから生徒が「何も考えられない」のは私の発問が悪いからだと思うようにしています。生徒は悪くないです。あとは相性の問題。私との相性、教材との相性、様々な成果物との相性。そういうものも考慮して成績をつけるようにしています。
頭を使ってほしいと思うのは、何も考えない受け身の生徒にしたくないからです。コピー機には誰だってなれます。けれど自分の力でものを考えるためには訓練が必要です。そのための練習が日々の授業の成果物でありテストであると私は考えています。
だから全部記述式、とか超ハードな課題を出しがちなのですが……そこは「少しずつ背伸びをさせる」ということにしたいと思います。

頭を使うことでこの社会をサバイブしていってくれたらうれしいなと願いながら、おしまいにしたいと思います。
それでは、また。

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