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教壇に立ち続ける 74 高校国語の教材研究・そのさん~夏の陣~

夏休み最後の週末を前に、涙が止まりません。お仕事したくないよう。どうも星野です。いよいよベーシックインカムを導入すべき。まあ教壇に立ったらスイッチが入るのでしょうが、この暑い中外出したくないのです……。8月の定期更新日は火・金。今日は金曜の分を消化です。お題は「高校国語(古典・現代文)の教材研究・そのさん」。扱ったのは「富嶽百景」(太宰治)と「大鏡」です。これらの「語り」を構造化する、という授業です。頑張って書いているので、いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneとFantiaはこちら。新作が続々入荷中です。8月23日までにminneのアカウントをフォローして頂くと、抽選で1名様に過去作品のなかからお好きなものを1点差し上げる企画もやっております。そちらもぜひ。

作品における語りの構造化

このふたつの作品には共通点があると思っています。それは「限りなく筆者の思惑に近いところで語られた作品である」という点です。「富嶽百景」は太宰の実体験(縁談の話や井伏鱒二が登場する等)を下敷きに書かれていますが、それも「意図的に語っている」部分と「意図的に語って地内部分」があると考えられます。ひとつは、冒頭部に出てくる「東京のアパートから見る富士山は苦しい」という話。これは太宰の美的感覚や価値観を反映していると考えることもできるでしょうが、実際に太宰がこの時期に経験した“何か大きな嫌なこと”があえて描かれずに話が進んでいます。
ほかにも中盤で出てくる「月見草」の話。これは河口湖からの帰りにバスで乗り合わせた老女と、車窓から見えた月見草の姿が重なって、通俗的なものに対する批判と、身近でしなやかで繊細な美に目を向ける大切さが描かれている部分ですが、「バスの車窓から月見草って見えるの?」という根本的な疑問が発生します。なぜ見えないものを「見た」ことにして語っているのか。そうした意図は何なのか。何を伝えたくて、ここまで自身の経験に近い話をしてきたのに一気に創作をぶち込んできたのか。
私はこれを「文学的空白」と仮に呼ぶことにしました。あえて書いていないこの部分には重大な意味があり、かつ隠すことで何かを「語らない」という選択をしている―いうなれば「何を語らないかで人格が分かる」的なやつです―と考えられないだろうか、という提案を生徒にしたいと思っているのです。生徒の学力はあまり高くありませんが、何か感じ取って言葉にする努力はしてくれそうなので、面白い解答や多様な読みを期待しています。しかし「正解を欲する病」にかかっているので、どこまで自由な読みを納得してくれるかが問題になってきそうです。
「大鏡」も同じで、筆者は未詳でも「大宅世継」という語り手が何を意識して歴史を語っているのか、には注意を払った方がいいと思っています。大鏡は「世継」(=世に語り継ぐ者)が夏山繁樹などの他の人物との対話・批評の中で様々な物語を語っていきますが、どこにスポットを当てていて、どこは語っていないのか、欠落している部分はどこなのかを考えていく授業も面白いのではないかな、と考えたわけです。たとえば今回扱う肝試しの話では、道長の心理描写が極端に少ないです。道隆や道兼については心内描写も多少ありますが、道長だけはそれが一切ない。そこにはどんな意図が内包されているのか。それを突き詰めて考える授業にしたいと思っています。

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多くの先生方がご指摘されているように、太宰の筆致はどこまでも太宰本人と「語り手」との境界を曖昧にさせます。そこをあえて「切り分ける」ことによって、新たな視点から作品を読み直し、自分がいかに「知った気になっているか」を考えてもらうのもひとつの狙いです。
「語り」は「騙り」と不可分であり、自分の見ている景色・聞いている音・得た情報がいかに「操作」されているかについて、生徒に考えてもらうための授業を現在構想中です。完成版をお見せできないのが申し訳ない……生徒の反応を見ながら、フレキシブルに変えていく予定ですので、実践報告をお待ちください。たぶん11月頃になると思います。「大鏡」は板書計画も終わったのですが、一番重要な部分だけお見せしますね。最後に話をまとめるところです。

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1学期は品詞分解にとどまってしまい、内容理解が追い付いていなかったので、今回は内容把握の問題もたくさん出していきます。その過程で「だますわけではないけれど、意図的にこういう書かれ方をしているから気を付けた方がいいよね」という話をしていく予定です。持っていた浜島書店の古い便覧には様々な補足情報が出ていたので、それを加味したうえでのノート例です。もっと先行研究を読み漁れば、ほかの意見も見えてくると思うので、今後もう少し改良していく予定です。「富嶽百景」は8月22日時点で半分まできました、残すところあと半分。今日中に終わらせます。そのうえで面白くなった部分をピックアップして公開する予定ですので、おたのしみに。

キライな指導書も読むようになりましたし、自分なりの授業の型も身につけられるようになってきたので、守破離の「守」は少しずつ足場固めができているように感じます。あとはどこまでそれを破れるか、それは私の今後の授業で変わってくると思います。現状に満足しないのが大事ですね。学年間・単元間の体系的な指導や他教科との横断等、やりたいことはたくさんあります。これからもたくさん発信し続けますので、応援よろしくお願いします。それでは、また。

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