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教壇に立ち続ける ⑪ 高校古典の教材研究そのに【note限定記事】

大掃除をしました。我が家のネコチャンは掃除機に対しご立腹です。「ぼくはぶいーってやつ、やなのー!」だそうです。

どうも星野です。気温差が激しくて体調を崩しそうですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も今日とて教材研究をしましたので、その結果をご報告致します。今回は「更級日記」の「東路の果て」です。1日1本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneは同期済(私のマイページに表示されています)、Fantinaはこちら。

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更級日記の面白さは、現代のオタクに通ずる「物語世界への憧れ」があると思います。(もちろん仏教世界に救いを求める考え方も息づいています)それと対照的な自身の人生を省みて、儚さを感じているのが菅原孝標女先輩です。自分も源氏物語に出てくる姫君のようになれる……そう本気で思っていた自分を、回顧しながら恥ずかしがっている。そんな先輩の姿に共感する古典クラスタも多いと勝手に想像しています。その何かに熱中する姿勢を生徒がどの程度理解してくれるかは分かりませんが、自分の中の「情熱を燃やしているもの」への愛着と似ているなあ、と少しでも思ってくれたら嬉しいなと思いながらこの単元を計画しました。

今回のテーマは心情を追いかけること。語句や文法に関しては、「形容動詞」と「音便化」に注目させるのが狙いです。本単元のおおまかなストーリーとしては、東国に生まれ育った筆者が物語に興味を持ち、等身大の薬師仏を造って「この世にあるすべての物語を見せてください!」と必死に祈り、十三歳の時に上京が決まるのですが、その祈りを叶えてくれた薬師仏は誰にも知られず見捨てられてしまう。その悲しみ、願いを叶えてくれたのに何も報いることができなかった悔しさ……そういった感情が湧きあがって、筆者は最後の一文で涙を流すわけです。
その「物語を読めるかもしれない」という気持ちの上昇、その後の旅に対する不安や、住み慣れた家を離れる悲しみ、そして薬師仏との別れという気持ちの浮き沈みをていねいに追いかけていくのが目標です。そのためには「薬師仏は現世利益をもたらすもの」という背景知識も必要になるかなと思うので、便覧も活用しながら知識を得ていくようにさせます。
文法的には「あんなる」という、ある(ラ変動詞)+なる(伝聞推定の助動詞)がなまったものが出てくるのですが、そこは脚問にもなっているので、ていねいに解説して、練習問題もやっていこうと思います。どこまで時間が許すかわからないですが、できるだけ知的に負荷をかけつつ、理解しやすい授業を目指します。
あとは語彙が身についていないと分かりづらい表現も多いと思うので、辞書の引き方を指導しながら形容動詞の識別を中心に、ことばの知識を身につけてもらおうかと。なにより「現代語に繋がる表現がある」「現代語とは異なるニュアンスのことばがある」という両側面に注目し、そのうえでことばの変化というものに思いを馳せるのも楽しそうだな……などと考えています。自分が言語学を専門に学んできたということもあって、ことばの変遷・使われ方に敏感になってほしいと思っています。Twitterで以前話題になっていた、「日本語学(日本語教育)的な側面からのアプローチ」をしてみようとも考えています。具体的には、日本語の特性、日本語教育で教える表現とのズレ(イ形容詞・ナ形容詞という表現等)、モダリティやアスペクトなども話してみようかと。日本語の面白さにも注目してもらえたら、きっと古典も楽しくなると思うので。


新しく知ることを「楽しい」「面白い」と思ってもらえるように、日々工夫しようと頑張っています。いつかそれが結実しますように。それでは、また。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。