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教壇に立ち続ける ⑥ 人権を守りたい【note限定記事】

先行きの見えない現状ですが、私は何も気にせず爆睡をかましました。まあ明日は早く出るし、いいか。どうも星野です。
今日のテーマは「人権」。教師を教師と思っていない生徒に悩まされた話から始まり、いろいろな場面にあてはまるように展開させていくつもりです。
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憲法で保障されている基本的人権。国民が皆自由に、平等に生活できることを明記している者ですが、私は教師生活をしているなかで何度もこれが揺るがされるような事態に遭遇しました。
まず私の勤務校は男の子の人数が多いので、必然的にセクハラ的発言が多くなるわけです。ブログにも書きましたが、「センセ―、今日化粧頑張ってないから、俺授業頑張れない」という意味不明な理由で授業を妨害されたり、見た目を悪く言われたり、授業中に大声で猥談したり。洗礼を受けたとでも言えそうですが、精神的にかなり疲弊しました。そういう場合私がとった行動は、徹底的に生徒指導に上げるということでした。評定を下げることはあまりしたくなかったのですが、それでも授業態度の項目は下げましたし、生徒指導の先生からは「誰であれ相手のことを誹謗中傷する、あるいは不快な思いをさせる行為は許されない」という基本的な内容を話していただきました。学校という特殊な場であれ、教師もひとりの人間です。その人格を否定する、あるいは尊厳を傷つけるのは絶対にいけないのだと、多くの先生の助けを借りながら、自分なりに指導しました。他にも授業そのものを面白くする工夫や、生徒の要望を聞くためにリフレクションシートを利用したり、出来る限りのことはしたつもりです。それがどこまで生徒に伝わっているかはわかりませんが。私の中で「ちょっと問題のある生徒」にどう対応するかを考えるきっかけになり、さらに実践ができたという点ではいい経験になりましたが、正直こういうので先生は疲弊するのだと、そして離職されるのだと実感しました。幸いなことに私は教える楽しさに気付けて、その結果今も教職を続けているのですが、そうでない先生も責められないなと思います。生徒があまりにも教師をひととして認識していない現状があるな、と体験的に理解した瞬間でした。

私のように「強く叱る」という指導をしないタイプの先生は、おそらく生徒から「何を言っても大丈夫なひと」として認定されると思います。それでも私は、怒鳴ったり感情的になるのは嫌でした。自分の教育実習先にいた、よく怒鳴る先生みたいになりたくなかったし、そういう指導は無意味であると信じているからです。その代わり、冷酷になることにしました。「だめなものはだめ」というのをあらゆる手段で示しました。それが上記の「生徒指導の先生とタッグを組む」ことであったり、授業内で「それは許されないよ」と伝えたりすることであったりしたわけです。たぶん生徒からは厄介な先生だと思われているのでしょうが、それでも自分の心を守りたいと思いました。守ったうえで生徒と向き合いたい。そういう気持ちで指導にあたりました。

この春から教壇に立つ先生方には、心構えとして「許されないものの線引きをする」ことを徹底してほしいなと思います。そこがなあなあになってしまうと学級崩壊にもつながります。いきなり担任を持たせる現在の仕組みもどうかとは思いますが、周りの先生と協力して、「怒鳴らなくても生徒に言いたいことを伝える」指導法を編み出してほしいと思います。私にとってそれは「生徒の声を聞くこと」と「徹底的に指導すること」だったのですが、それがすべての校種・クラス・生徒に合うとは言えませんし、自分で生徒と向き合いながら考えてみてほしいと思います。生徒の皆さんには、先生もひとりの人間で、傷ついたり悩んだりしながら皆さんと接しているのだということを頭に入れてほしいです。裏切られたら悲しいし、傷つけられたら腹も立てる。そういう「人間同士のコミュニケーションをしている」ということを常に意識しながら、友達や先生と話をしてほしいなと思います。


私も新学期を迎え、これからどんな生徒と出会うのか、少し不安だったり楽しみだったりしますが、それを丸ごと自分の糧にしていくつもりです。それでは、また。

今後の執筆の糧を頂戴できれば幸いです。お気持ちだけで結構です。