見出し画像

就活ガール#52 内定辞退は3月でOK

これはある日のこと、バイト先のコンビニで店長の薫子さんと、後輩の日野原さんと3人で話していた時の話だ。

「この前面接来た人、辞退だってさ。」
薫子さんが残念そうに話かけてくる。この前の面接には俺も同席していたので、誰のことを言っているのかはすぐにわかった。
「あの爽やかな人ですよね。良い人そうだったのに残念です。」
「いい人ほど辞退しちゃうのよね。最近はバイトでも同時に2、3個面接受けてる人珍しくないから。ま、仕方ないわ。」

「就活だともっとありそうですね。」
「そうよ、日野原さん。就活は特定の学生に内定が集中して、企業側は辞退を防ぐために必死で取り組んでいるわ。」
「具体的にはどういうことをしてるんですか?」
俺に代わって、日野原さんが気になることを聞いてくれた。
「まずは内定式ね。内定通知書を渡したり、誓約書にサインさせたりする。あとは役員の人とかがちょっと話したり、入社までに読んでおいた方がよい本を紹介したり、いろいろあるけど、一言でいうと意味のあるイベントではないわ。」
「式典ってそういうものじゃないですか?」
「そもそも内定っていう概念自体が曖昧なのよね。誓約書だって、サインしたら入社しないといけないと思ってる学生がいるからサインさせてるだけで、実際は入社の2週間前までなら辞退しても法的に何の問題もないわ。」
「そうだったんですか……。」
日野原さんが驚いた表情をしている横で、おれも内心驚いている。まずは、意味がないのになぜ内定式をするのかを聞いてみることにした。

「じゃあ、どうして内定式をするんですか?」
「まず1つは、内定式に出席しないといけないという思い込みが学生にあるでしょう。実際は内定式に出席しないと取り消しなんてことはないし、入社後に欠席を理由に不利になる会社もほとんどない。もちろん、内定者同士の横のつながりとかはあったほうが得をすることが多いから、出席できるなら出席した方がいいとは思うけどね。内定者懇親会とかも同じで、出席しないよりはした方がいい。でもしなくても別に問題はないわよ。」
「うーん。」
「よくわからないって顔してるわね。えっとね。内定式は10月1日に一斉にやるから、1つの会社にしか参加できないでしょう?」
「あ、なるほど。そこで他の会社の内定式を欠席させることで、その会社の内定辞退をしにくくさせるってことですね。」
「そうよ。あとは、内定式に出席した人はその後辞退する確率が低いと考えられるから、最終的な入社者数のめどを立てやすいっていう理由もあるわ。」
「なるほど。人事も色々考えてるんですね。」
「昔は内定者旅行とかもやってたらしいわ。そうすると他の会社の内定式どころか、選考すら受けにくくなったりするでしょう。」
「もしかしてバブルの頃ですか?」
「大正解。今はさすがにそこまでお金かける企業はないみたいだけどね。」

「今の流行でいうとオヤカクとかですか?」
しばらく黙って話を聞いていた日野原さんがそう言うと、薫子さんが首をそちらへ向けた。オヤカクとは、「親への確認」の略で、入社することについて親の同意を得ているか、企業が学生に尋ねることを言う。場合によっては企業から内定者の親に対して安心させる材料などを提供し、内定先に良いイメージをもってもらう活動も含んでいるらしい。俺の感覚でいうと二十歳を超えた大人の就職に際して親が関わってくるのはやや過保護な感じがするが、実際のところ、親の影響から抜け出しきれていない大学生は昔よりも増えているらしい。
「そうそう。最近はオヤカクが結構重要ね。」
「オヤカクって具体的にはどういうことをするんですか?」
「まずはシンプルに、面接の場とか内定者に対して、入社することについて親の同意を得ているか聞く。」
「面接で聞かれた場合は『得ている』と答えるしかなさそうですね。」
「そうねぇ、一番良いのは『任されている』かしら。そもそも大学生にもなって親の了承を得ないと就職先を選べないという考え方自体が子供っぽいというか、少なくとも面接では隠した方がいいと思うわ。」
「うちは大丈夫だと思いますけど、親の方が子離れできてないケースとかもあるから大変ですね。」
「親の時代は大卒者が今ほど多くないし、大企業に入りやすかった。その常識から抜け出せない親も多いから特に企業は大変よ。わざわざ大学に通わせたのにどうしてそんな会社に入るのかっていう疑問を持たれやすいの。まぁ実際、わざわざ大学を出なくても入社できるような会社を安易に選ぶ大学生が増えているのも事実だけどね。」
「なるほど……。やっぱり親としては大手企業とかを狙ってほしいですよね。実際、Fラン大学からでも大手に入る人はそれなりにいますし。」
「そうね。親云々以前に、一般論として大手企業に入ったほうが幸せになれる可能性が高いのは事実だから。わざわざ分の悪い賭けをするなら、それなりの根拠と覚悟が必要だと思うわ。」
「就活について学べば学ぶほど、大手のメリットが大きいと感じるんですよねぇ。」
日野原さんの言葉に、薫子さんが頷いた。
「そうね。そういえば、最近はオヤカクの一環として、親に電話したり手紙を送ったりする会社もあるらしいわね。まぁ面接でちゃんと『任されている』と答えておけば問題ないはずだけど。」
「ありがとうございます。わかりました。」

「話を戻すんですけど、内定辞退ってやっぱり企業にとっては迷惑ですよね。」
2人の会話がひと段落したところで、再び内定辞退の話題に戻し、気になったことを聞いてみる。
「ええ、大迷惑。手間もそうだし、コストもかかる。担当者は上司に怒られるでしょうね。」
「ですよね……。」
「でも、別に気にしない方がいいわ。早くに辞退するメリットって学生側には何もないと思わない?」
「まぁそうですね。もしかしたら第一志望の会社がある日突然取り返しがつかないレベルの不祥事を起こすかもしれないですし。」
「そうそう。で、法律上は入社の2週間前までの辞退は絶対に認められるから、できればギリギリまで辞退しないで粘ることを私はオススメしてる。」
「理論上はそうなんですけど、ギリギリになればなるほど企業に怒られたりしないのかなって。あと、人事の人がいい人だと申し訳ない気もします。」
「そりゃあ相手にかける迷惑はギリギリになればなるほど大きくなるでしょうけど、そんなに怒られたくないの?」
薫子さんに笑われる。そりゃあ誰だって怒られたくないだろう。

「気にしすぎね。別に怒られたって大した問題じゃない。さっさとメールして終わりで十分よ。」
「え、メールでいいんですか?」
「だって企業だってメールでお祈りしてくるだけでしょう?」
「それはそうですが、一度内定承諾してから辞退するのとはわけが違うと思います。」
「やっぱり気にしすぎ。もちろん内定辞退を訪問で告げるもっともらしい理由をつけることはできるわ。たとえば『無礼な奴は社会では通用しない』とかね。でもこういうのは人事の人が感情的になって言ってるだけだから気にしたら負けなの。内定辞退するのは全然無礼じゃないし、むしろ法律で2週間前まではOKと決まってるのにあの手この手で学生を囲い込んで良心につけこもうとしてる方が汚いと私は思うのよ。」

「たしかに、さっきの内定式の話は微妙だなぁと思いました。」
薫子さんの言葉に、日野原さんが同調する。
「そうよね。あと、大手企業であればあるほど、内定辞退はメールが嬉しいと思うわ。一定確率で辞退者が発生するのはあらかじめ想定して採用計画を立てているし、いちいち電話とか訪問とかされても面倒だもの。一度辞退の意思を固めた人が説得されてやっぱり入社するというケースはほとんどないから。その辺はちゃんとしてる会社ほど合理的に判断してくれるの。」
「たしかにそうかもしれません。辞退する人の相手をするより、さっさと補充要因を探したりしたいでしょうし。」
「そうそう。予想以上に辞退の数が多いと、追加募集しないといけないし大変よ。新たに求人サイトで募集するのには当初コストがかかるし、遅い時期まで募集をしているとイメージが悪くなるし。」
「4年生の後期まで募集していたりする企業って、何らかの理由で人が集まらなかった企業、つまりブラック企業っていうイメージはあります。」
「実際、そういう会社が多いからね。だから普通は辞退を見越して多めに内定をだす。もっといえば、そういう予測をするのも人事の仕事であって、辞退されてから怒ったりするのは筋違いなのよ。」
「そう考えると、ちょっと気が軽くなった気がします。」
「ええ。とにかく、自分の権利は主張していいの。内定を取った後は完全に立場が逆転して、今度は企業が選ばれる側になるのよ。」

薫子さんの話を聞いて、内定辞退への心理的ハードルは大きく下がった気がした。もっとも、それ以前に俺はまだ辞退できるような内定を得ていない。将来的に良い企業を選べる立場になるためにも、より一層就職活動に力を入れようと思うのであった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?