【日本神話③】俺 伊勢神宮に行く
夫婦岩などを見て身を清め終わったら、いよいよ天照大神を祀る伊勢神宮にお参りします。三重県の伊勢神宮は外宮と内宮の2か所があります。まず外宮から詣でましょう。
外宮は正式には豊受大神宮といい、その名の通り豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)を祀っています。お米などの穀物や衣食住の神様で、アマテラスのお食事のお世話をする神様だそうです。お社がここに建てられたのは、21代・雄略天皇(5世紀頃)の夢枕にアマテラスが現れ、お食事の世話をする神様の社を建てるよう告げたといわれています。
境内に建てられていた案内図の通り、川を渡り、森の参道を抜けて正宮へ。みなさんが何に手をかざしているのかは、よく分かりませんでした。その背後の少し古めのお社が、外宮の正宮です。さらにその左に新しく建てられたお宮もありました。そうです、訪問した2013年は式年遷宮の年だったんですね。
伊勢神宮では20年に1度、社殿を建て替える風習があります。これを式年遷宮と言い、その年には盛大かつ厳かな神事が境内で執り行われます。同時に、宮大工の技術継承にも寄与しています。建て替えられたら古い建物は取り壊し、今度はそこに20年後、新しい建物を建てるそうです。ちなみに2013年は60年に1度の出雲大社の御遷宮の年とも重なった貴重な年でした。当然、行ってきましたが、それは別の記事で。
続いて内宮へ。こちらは天照大神の神社です。通常「神宮」といえば、伊勢神宮のことを指します。太陽神であり皇祖神でもあるため、日本の八百万の神様のうちでも最高位と考えてよいでしょうし、日本に数多ある神道の聖地の中で最も格式高い所だと思います。
シンボリックな宇治橋を渡って聖域に入ります。ここで記念撮影したくなりますね。式年遷宮の年で、気候も穏やかな秋ということもあって、特に大勢の参拝客でにぎわっていた時期だと思います。いや、年中賑わっているのかな?
伊勢神宮はここにお社が経つまで、全国各地を転々としました。それ以前は、アマテラスが太陽神であることから「八咫鏡(やたのかがみ)」を、その身を宿した神器として、天皇のそば近くに納められていました。しかし、10代・崇神天皇(3世紀頃)に疫病が流行ったことで、「天皇家と同じ場所にあることは恐れ多い」と考え、外に出して聖地として祀ることに決まりました。
そのため、皇女の倭姫が「八咫鏡」を持って大和国を出て、近江や美濃などを巡った後、前回の記事で紹介した伊勢の海岸で猿田彦の導きも得つつ、伊勢の地に納めるべしとの神託が下り、現在の三重県伊勢市のここに安置されました。ここに鎮座するまでに一時的に鏡を納めた場所には「元伊勢」と冠がつく神社がいくつかあります。ただし、これも神話の一部のお話です。史実としての出来事とは違うとの意見・研究もあります。
尚、「八咫鏡」は「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)」と共に天皇家が代々受け継ぐ三種の神器です。剣のお話はスサノオやヤマトタケルの記事で紹介します。
というわけで、歴史を感じつつ正宮の前にてお参り。ここより先は撮影禁止です。写っている建物はお参りする場所で、社殿はさらにその先にあります。世界の平和と私の家族、知人たちの穏やかな生活と安全健康を祈りました。私自身に対して、これといった願い事もないもので・・・。
式年遷宮とパワースポットブームということもあって、緑豊かにせせらぐ川の聖域も、それほど静寂というわけにはいきませんでしたが、なんとなしに、やっぱり私は日本人なのだなぁ~としみじみ思いましたね。外国のキリスト教会やイスラム教のモスク、その他の宗教施設に行っても、その建物の素晴らしさや歴史的事件を想像して興奮しますが、神様に祈るような気持にはあまりなりません。神様に祈るというよりは、訪問のご挨拶のような気持ちです。
そして「聖地」というものはやはり、大都会のコンクリート&ビルディングジャングルの中ではなく、こうした人里を少し離れたような場所で静かに社が鎮座しているのがいいと、個人的に思いますね。もちろん、手つかずの天然大自然というわけにはいきませんがね。山道や木々の伐採など、人の手による整備がありつつ、この環境と歴史を守ってほしいですし、私も何ができるか分かりませんが、守る一員になりたいと思いました。
う〜ん、心洗われる聖地巡礼でした。気持ち良し!
伊勢神宮・豊受大神宮(外宮)↓
伊勢神宮・皇大神宮(内宮)↓
表紙の写真=伊勢神宮・内宮へ続く宇治橋(2013年11月2日撮影)
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