0nigiri.jo

特筆すべき経歴はありません。この世の隅っこ暮らし。歴史舞台に来た見た撮った書いた!写真は原則、自前。たまに借り物あり…w 時々旅をし、黙々と本を読み、淡々と撮っています。 Instagram ID 0nigiri.joe

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マガジン

  • 日本神話の旅~人々の時代

    日本神話の舞台を旅した記録の後編です。

  • 日本神話の旅~神々の時代

    日本神話の舞台を旅した記録の前編です。

  • 世界七不思議攻め

    世界七不思議の各地を巡ったお話です。

最近の記事

【日本神話⑮】邪馬台国への道~投馬はどこ?

 現在の福岡県内と思われる魏志・倭人伝に出て来る不彌國から「南の投馬國へは、水行二十日。官は弥弥、副官は弥弥那利。五万余戸」とあります。気になるのは、船に乗る必要が出てきたという点。さらに五万戸は大きいですね。伊都國で一万、奴國で二万ですからね。  その先の邪馬台国へは「南へ水行十日、陸行一月」とあります。投馬國からさらに船で10日かけ、船を降りて陸路で一カ月の時間をかけて着いたようですね。そのまま現代の地図に当てはめると九州の南東の海上になってしまうと前回も紹介しました。

    • 【日本神話⑮】邪馬台国への道~九州

       對馬國→一岐國→北部九州へ上陸します。 海の民の末盧國  魏志・倭人伝には「また一海をわたること千余里で、末盧国(=長崎県松浦、佐賀県名護屋、同県唐津付近)につく。四千余戸ある。山海に沿って居住する。草木が盛んに茂り、歩くと前の人が見えない。好んで魚やアワビを捕らえ、水は深くても浅くても、みな潜ってとる」  末盧國について、魏志・倭人伝では、これまでと違い、官職名は書かれていません。記述もこれだけ。漁法について特徴的な記述がみられ、釣りではなく海に潜っていることが書か

      • 【日本神話⑮】邪馬台国への道~一岐國

         魏志・倭人伝によると「対馬の南の海をわたること千余里、瀚海(大海=対馬海峡のこと)という名である。一大国(一岐の間違い=壱岐)につく。官を卑狗といい、副官を卑奴母離という。四方三百里ばかり」とあって、壱岐にやってきました。島のやや東南に位置する原の辻遺跡は「一岐国の王都」と名付けられ、弥生時代の集落が見事に復元されていました。博物館も併設していたので、邪馬台国からの道程に記述のある「一岐国」の様子をこの目で見ることができました。  紀元3世紀頃の壱岐の記述ですが、国の長と

        • 【日本神話⑮】邪馬台国への道~對馬國

           日本神話に寄れば、初代・神武天皇が即位したのが紀元前660年とのこと。続いて実在不明の謎の2~9代の天皇を経て、10代・崇神天皇が即位したとのことです。崇神天皇は実在した可能性が高いそうですが、西暦にして何年頃かは諸説あります。記紀の記述に沿った年代とはズレてしまいますが、紀元3世紀に大和国の三輪山麓に広がる巻向を都にした天皇=大王という説が有力視されています。  地面を掘って出て来た遺構や遺物研究に基づく考古学の観点では、都市遺構と巨大古墳などから、この時期に巻向を中心

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        • 日本神話の旅~人々の時代
          10本
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          23本
        • 世界七不思議攻め
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        記事

          【日本神話⑭】神武天皇~大和王権前夜

           初代の神武天皇が紀元前660年に橿原宮(奈良県橿原市)で即位して大和王権がスタートを切るというのが、古事記や日本書記の流れなのですが、次の2~9代天皇までの8人の時代は、「欠史八代」と呼ばれて区分されています。2代・綏靖天皇の即位については、継承争いなどが描かれていますが、いずれにせよ、史実といわれる10代・崇神天皇に至る8人の天皇については、初代からの穴埋めのようなフィクションであるというのが定説です。  では、縄文時代の終わりから弥生時代に当たるこの時代、文献史料はあ

          【日本神話⑭】神武天皇~大和王権前夜

          【日本神話⑭】神武天皇即位 大和平定

          熊野から大和への道  八咫烏(ヤタガラス)の案内で熊野の山中から吉野川を北上する神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ=後の神武天皇)は、在地の神々(地元の豪族か?)を服従させて大和(奈良盆地)の東に位置する宇陀の地(奈良県宇陀市)に入ります。ここで、兄宇迦斯(エウカシ)と弟宇迦斯(オトウカシ)という兄弟に出会います。  八咫烏の服従の勧めに、兄は矢を放ってこれを拒否。一方、弟は兄の陰謀をイワレビコらに伝えます。兄・エウカシはイワレビコの家臣である道臣命(ミチオミノミコト=

          【日本神話⑭】神武天皇即位 大和平定

          【日本神話⑬】神武東征 三月と三羽烏と

           まったく日本神話の話から離れた旅行記になってますが、熊野三社の最後は熊野本宮大社へ。熊野川を遡った山中の川辺にあります。  曼荼羅を見ると、熊野川の中州のような場所に社殿が建てられているのが良く分かります。そして「本宮」の名前が示す通り、「熊野の神社」といえばかつては、ここの本宮大社のことを指したようです。右下の赤鬼が何なのか気になるところではありますが・・・しかし、地形的に歴史上で何度も何度も水害に遭っており、明治22年の大水害以後は、中州の社殿は再建されず、高台の方の

          【日本神話⑬】神武東征 三月と三羽烏と

          【日本神話⑬】神武東征 古道と滝と

           神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ=後の神武天皇)が歩いた熊野から大和への道中かは不明ですが、日本神話の流れは置いておいて、前回の熊野速玉大社に続いて、今回は熊野那智大社を紹介します。  熊野那智大社の参詣曼荼羅では、「那智の浜」についた船から浜の宮の鳥居をくぐり、補陀洛山寺が描かれています。那智川を遡って山中へ道が続き、上部に熊野那智大社と那智山青岸渡寺。仏塔や那智の滝もありますね。原作的なものでは、平安の女性歌人・和泉式部も描かれているそうです。 熊野古道を行く

          【日本神話⑬】神武東征 古道と滝と

          【日本神話⑬】神武東征 熊野と巨石と

           大阪の河内で長髄彦(那賀須泥毘古=ナガスネヒコ)の軍勢に敗れて撤退した神倭伊波礼毘古(神日本磐余彦尊=カムヤマトイワレビコ、後の神武天皇)は、兄・五瀬命(イツセノミコト)の「日向の神の子孫である我々が日を正面に陣を張ったのが敗因」との言葉を受け、紀伊半島をぐるっと回って東側から大和を目指すことにしました。イツセはその道中で亡くなってしまいました。  というわけで、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三大社を巡りたいと思います。まず最初は和歌山県新宮市の熊野速玉

          【日本神話⑬】神武東征 熊野と巨石と

          【日本神話⑫】神武東征 出立の地

           山幸彦(ヤマサチヒコ=火遠理命=ホオリノミコト)の妻・豊玉姫(トヨタマヒメ)は、鵜葺草葺不合命(ウカヤフキアエズノミコト)を産んだとき、元の姿に戻っていたのを見られたのを恥じ、海神の国へ帰ってしまいました。そこで海神である父・大綿津見神(オオワタヅミノカミ)は、豊玉姫の妹の玉依姫(タマヨリヒメ)を送り、彼女がウカヤフキアエズを育てました。後にウカヤフキアエズはタマヨリヒメと結婚し、五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、若御毛沼命(ワ

          【日本神話⑫】神武東征 出立の地

          【日本神話⑪】海の神と黒歴史あり

           海神の国から戻って兄・海幸彦(海佐知毘古=ウミサチヒコ=火照命=ホデリノミコト)を屈服させた弟・山幸彦(山佐知毘古=ヤマサチヒコ=火遠理命=ホオリノミコト)は、現在の宮崎県宮崎市の青島に宮を建てて暮らしたそうです。 山幸彦の宮・青島  訪問時の2013年の年越しは宮崎市で車中泊となりました。紅白歌合戦も車のTVで観てました。宮崎県内は北から南まで、日本神話ゆかりの地が多く、夜遅くまで各地を訪ね、日暮れから旅の距離を稼ごうと運転しているうちに、宿探しが面倒になってしまいま

          【日本神話⑪】海の神と黒歴史あり

          【日本神話⑪】海の神と竜宮への道

           邇邇芸命(ニニギノミコト)の妻・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は、業火の中で火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)の3子を産みました。このうち、兄のホデリは海幸彦(海佐知毘古=ウミサチヒコ)、弟のホオリは山幸彦(山佐知毘古=ヤマサチヒコ)として、神話が進みます。真ん中のホスセリですが、3人中1人は何もしないのは、いつものパターン。  兄・ウミサチは漁業を、弟・ヤマサチは狩猟をしてそれぞれ生計を立てていました。ある時、ヤマサチ

          【日本神話⑪】海の神と竜宮への道

          【日本神話⑩】山の神と命は短し

           木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に結婚を申し込んだ邇邇芸命(ニニギノミコト)でしたが、父親である大山祇命(オオヤマツミノカミ)は、コノハナと同時に姉の磐長姫(イワナガヒメ)も差し出しました。しかし、その容姿が良くないと思ったニニギは、イワナガヒメを送り返してしまいました・・・なんとも・・・。  京都の貴船神社に行った際、たまたま「磐長姫を祀る」と書いてある社を見つけました。イワナガはニニギに帰らされたことを恥じ、「我はここで良縁を授けよう」と鎮座したとのことです。「縁結び

          【日本神話⑩】山の神と命は短し

          【日本神話⑩】山の神と恋せよ乙女

           高天原から地上の「高千穂」へ降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)は、そこに宮を建てて暮らし始めます。ある時、笠沙の岬(鹿児島県薩摩半島の野間岬といわれる)で美しい女性を見初めました。この女性が木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)。大山祇神(大山津見神=オオヤマツミノカミ)の娘です。ニニギは父親であるオオヤマツミに結婚の許可を求めました。  オオヤマツミはその名の通り山の神様です。富士山の神様というわけじゃなさそうです。大山祇神社の総本社は愛媛県今治市大三島町、しまなみ海道の中

          【日本神話⑩】山の神と恋せよ乙女

          【日本神話⑨】天孫降臨 灰にまみれて

           天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫・邇邇芸命(ニニギニミコト)が高天原から地上の中津国に降り立った候補地は二つ。前回は宮崎県北部の高千穂峡を紹介しました。今回はもうひとつの候補地、宮崎県南部と鹿児島県北部の県境に位置する高千穂峰へ行ってみたいと思います。  まず霧島神宮でお参り。ニニギを祀り、関連する神事も行われているそうです。赤色の建物と彩り豊かな装飾が印象的です。江戸中期に島津家が建てたものだそうです。神宮の背後というか北に位置するのが高千穂峰です。  写真の背後

          【日本神話⑨】天孫降臨 灰にまみれて

          【日本神話⑨】天孫降臨 日向の秘境

           高天原側から「国譲り」を迫られた地上の中津国・出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)は、息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)が敗れたことで、これを承諾しました。その交換条件として建てられたのが出雲大社だそうです。  オオクニヌシの返答を受け取った天照大神(アマテラスオオミカミ)と高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は、アマテラスの息子・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)を中津国へ下らせようとしましたが、アメノオシホは自分の子(アマテラスの孫)である邇邇芸命(ニニギノミ

          【日本神話⑨】天孫降臨 日向の秘境