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【日本神話⑤】八雲立つ出雲へ

 八岐大蛇を退治したスサノオは、クシナダヒメと結婚して、出雲国に身を落ち着けました。島根県出雲市の須佐神社や八重垣神社、雲南市の箸拾いの碑など、ゆかりの地を旅してきました。

島根県雲南市、斐伊川沿岸の岐大蛇公園にある対決像(2012年11月23日撮影)

 まずは雲南市の斐伊川にある八岐大蛇公園。ここにスサノオとオロチの対決像があります。そもそも、高天原を追放されたスサノオは、斐伊川上流から流れて来た箸に気が付き、人里があることが分かったそうです。それがここということで「箸拾いの碑」もありました。

対決像と「箸拾いの碑」(同日撮影)
八岐大蛇公園に設置された伝説由来の地の案内看板(同日撮影)

 スサノオの足跡などを全て追いかけるなら、この地域にはこれだけの場所があるようです。さすがに限りある時間の旅では、全部は廻りきれないので、主なところだけ。

斐伊川(同日撮影)

 首が八つもある大蛇のオロチですが、これも何かの史実に基づく話だとしたら?よくいわれるのが、斐伊川などの氾濫をスサノオが治めたという説ですね。スサノオは治水利水事業を行い、出雲の自然災害を減らして農業に安定をもたらしたと。

 また、オロチの体内から剣を見つけるのですが、これも製鉄技術に関する話ではないかといわれています。島根と言えば青銅器が数多く出土した荒神谷遺跡などが有名です。銅剣だけで350本超でしたっけね?神話の内容を脇に置いたとしても、銅と鉄の違いはありますが、製鉄技術が出雲の強さだったことは間違いないと思います。

 「他の土地からやってきた人が河川を治めて農業生産力を高め、製鉄などの新技術を伝来、確立させた」というのなら、神様のように語り継がれてもおかしくはないでしょう。徐福よろしく、渡来人の痕跡という可能性もあるかもしれません。または農業部族と製鉄部族の争いを治めたとか、色々と異説はありますし、想像しうることは全て可能性があるとは思います。

いずれも出雲市の須佐神社(同日撮影)

 斐伊川からは少し離れて出雲市の山奥へ。須佐川の河岸にある須佐神社へ行きました。この日は偶然、お祭りの日だったようです。須佐神社周辺はその名が示す通り、スサノオの名をつけた土地。スサノオが開拓した場所のようです。また、神社はスサノオの魂が眠る場所ともいわれています。小さな神社ではありますが、その荘厳さに規模は関係ないでしょう。地元の方々も大事にされているのですね。

須佐神社で振舞っていた大根鍋(同日撮影)

 お祭りの日ということもあって、須佐神社境内で大根鍋・・・だったと思いますが・・・を無料で振舞っていただきました。美味しいですね。由緒ある神社で歴史を感じながら食べるご飯は美味しいです。遠くから来たよそ者に優しくしてくれたお気持ちもありがたいです。

島根県松江市の八重垣神社(同日撮影)

 さて、オロチ退治を終えたスサノオはクシナダヒメと結婚し宮造りを行いました。その場所が松江市の八重垣神社といわれています。祀るのはもちろんスサノオとクシナダヒメ。縁結びの御利益でも有名です。

八重垣神社・奥の院の鏡の池(同日撮影)

 奥の院は、オロチと戦う際にクシナダヒメを隠した場所だとか。鏡池の水はその時の飲料水などに使われたそうです。今は占いの場所として人気のようです。

 そして、スサノオの宮造り、国造りで有名なのがこの歌です。

八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を

 意味:八重に立ち上る雲をもって妻を守る幾重もの垣根としよう

 日本には和歌の文化がありますが、その筋でいうなら最古の歌ということになります。特に定まったメロディのような調子はなく、詩や詞ともいえますが、神話の中で歌が出てくるのは日本に限らず、メソポタミアから始まり、ギリシア神話に基づく吟遊詩人ホメロスの叙述詩「イリアス」「オデュッセイア」なども有名。アラビアではコーランに独特の調子と韻がありますが、それ以前から「詩」の文化がありました。各地の部族で歌い継がれる民族音楽しかり。世界で多くの例があります。

 人の歴史に歌あり。

 俳句や短歌にしろ、私にもそんな才能があれば、旅日記にも彩りを添えることができるのになぁ~っと常々思う今日この頃です。

八岐大蛇公園↓

須佐神社↓

八重垣神社↓

表紙の写真=早朝の宍道湖に浮かぶ島(2012年11月23日撮影)

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