【読書日記】「小さな声の向こうに」/ 塩谷舞
私が塩谷さんの存在を知ったのは、ニュージーランドがCovid-19(新型コロナウイルス)対策のための厳しいロックダウンに入ったころだった。
たぶん1回目のやつ。(ニュージーランド、というかオークランドは、何度もロックダウンを経験したのです……。)
まるでSFの世界だったあのころ、旧Twitterのタイムラインに塩谷さんのつぶやきが流れてきた。
私と同じように、母国ではない国(塩谷さんはニューヨーク)でロックダウンという、どこか現実味のない、不安な状況を耐えている彼女のつぶやきは、この状況において意外にも静謐な言葉を紡いだものだった。
まるで遠い星から、かすかに聞こえてくるメッセージのようだと思った。
ソコニダレカイマスカ?
ワタシハ、ココデ、コンナコトヲオモッテイマス
……そんな感じ。
彼女のつぶやきの対象は、見過ごしてしまいそうな小さなことから、流されてしまいそうな大きな問題まで、驚くほど幅広かった。
そして、そのつぶやきはどれも、誠実でありたいと真摯に願って言葉を選んでいる様子が伝わってくるものだった。
なんて生真面目で不器用な人なんだろう。
この場合の『不器用』は、彼女の才覚ならもっと上手く立ち回れるだろうに、敢えて、順調に進んでいた道の途中で立ち止まって真剣に考え込んでしまうような不器用さだ。
私はそんな塩谷さんのつぶやきに耳を澄ませるように、あるいは手のひらに掬うように、彼女のアカウントをフォローしたのだった。
☆
その後、塩谷さんも、私も、それぞれの事情と決断で日本に戻った。
国を跨いだ引っ越しの後片付けやら、同居を始めた実家の後片付けやら、ムスメの学校の手続きやらに追われる中、私は塩谷さんのデビュー作エッセイ「ここじゃない世界に行きたかった」を少しずつ読むのを楽しみにしながら、日本の生活に戻っていった。
塩谷さんのつぶやきは時折、話題になったり、話題になりすぎたりしていたけれど、それらの騒ぎ(?)に対する彼女の対応のつぶやきにはいつも、誠実でいたいという思い、願い、あるいは祈りがあったと思う。
常に、誰に対しても、優しく誠実でいるのは難しい。人は間違えたり、迷ったりするから。
でも、完璧にやれないからといって自ら誠実さを放棄していまう生き方と、それでも誠実でありたいと願いながら生きていく人生だったら、私は後者を選びたいし、後者を選ぶ人が好きだ。
☆
塩谷さんの新しいエッセイ「小さな声の向こうに」を母の日のプレゼントとして買った。自分のために。記念日のプレゼントの選択権は本人にある我が家である。
「ここじゃない世界に行きたかった」で世界に飛び出した塩谷さんは、本書で原点回帰、あるいは青い鳥の物語のように、日本社会や文化や芸術の中の小さな声に耳を澄ませている。
それから、彼女自身の身体の声にも。
自分の身体の声というのは、自分自身でありながら、なかなか耳を傾けてあげられないことが多い。忙しい日々の中では特に。
ご自身の不妊治療の日々について発信する塩谷さんは、やはり真摯で、誠実であろうとしているのが伝わってくる。
どうか近い将来、塩谷さんがお子さんの声に耳を傾け、お子さんの開いてくれた新しい扉の向こうの世界へ飛び出す日がやってきますように。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?