【夢への執着駅】現実逃避駅からの乗り換え ❸
行きつく先は、どこだろう。
終点は、なんためにあるのだろう。
現実逃避駅にいては、なにも生まれないが
夢への終着駅へ行ったとしてもなにも始まらない。
けれどはじまりはおわりだ。
わたしは未来の駅へと向かうため、
まず「夢への終着駅」で降りようと決めた。
夢への執着駅を降りるとそこには、私がこれまでに見た夢の中の世界が広がっていた。
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夏の暑い日、私は和室に沢山の布団が敷いてある広い部屋にいた。
そこには沢山の人々が寝ていた。
みんな、同じ様な病にかかっていたようだ。
私もそのひとりとして、布団に寝かされていた。
自分は健康なはずなのに、どうして布団で安静にしていないといけないのだろう。
一日に何度か、お腹に注射を受ける。
それが本当に効くのか、なんてなんの説明も受けていないからわからないけど、必ず注射をしないといけないようだ。
とにかく注射がいやだった。
他の人は安静にしていて、えらいな。
でも、私はこれ以上注射をつづけるのはいやだ。だから逃げよう。
そう思って、私はその病人だらけの部屋からこっそりこっそりと、出て行った。
その瞬間、外の世界の明るさに気付いた。
病人であることのせつなさを、私は夢のなかで体験していたのだ。
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祖母が亡くなる前の日の晩、私は夢を見た。
私はある家を訪問した。
新しく、その家の子供になるようであった。
ピンポンを押すことなく、私がその家におじゃますると、そこにはとても幸せな顔をした夫婦が私をあたたかく迎えてくれた。
夫婦は木漏れ日のあたる、きらきらとした部屋の中で、食事をとっていた。
その幸せな顔の夫婦は、白い太陽の光りの中に消えていってしまいそうになるくらいだった。
そしてその夫婦は、まるで私を「子供として」迎えるのではなく、対等の大人として迎えてくれているようであった。
その家の庭には、不思議なことに、とても急な丘があった。
狭すぎるその庭に、当たり前のように存在している。
故意に作られているようではなく、きっと突然現れたものなのではと思う。
あの夫婦にとっては、この丘は邪魔ではない、むしろ「大切なもの」ではないかと感じた。
この丘に、夫婦の幸せの原因があるような気がしてならなかった。
そして丘の上へと私は登っていく。
祖母が私たちを見守る星になるために、お空へ昇っていくかのように。
ここはまるで、
穏やかで、ストレスのない世界。
何もすることなく、幸福を体験しているような、そんな夢だった。
もしかしたら、亡くなる前の晩の祖母も、このような夢を見ていたのかもしれない。